・・・――彼はこう心の中に何度も彼自身を説得しようとした。しかし目のあたりに見た事実は容易にその論理を許さぬほど、重苦しい感銘を残していた。 けれどもプラットフォオムの人々は彼の気もちとは没交渉にいずれも、幸福らしい顔をしていた。保吉はそれに・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・ 僕は半ば僕自身を説得するように言いつづけた。「お前だってまだ若いんだしするから、そんなことはとやかく言いはしない。ただその人さえちゃんとしていれば、……」 妻はもう一度僕の顔を見上げた。僕はその顔を眺めた時、とり返しのつかぬこ・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・が、口を酸くして何と説得しても「ンな考は毛頭ない、」とばかり主張って、相談はとうとうそれきりとなってしまった。現在自分の口から言出して置きながら、人に看透かされたと思うと直ぐコロリと一転下して、一端口外した自家意中の計画をさえも容易に放擲し・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・とか、或は、「優しく角立たぬように説得した」とか云う類は、屡々欧文に見る同一例である。これらは凡て文章の意味を明らかにする以外、音調の関係からして、副詞を入れたいから入れたり、二つで充分に足りている形容詞をも、一つ加えて三つとしたりするので・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・情感へのアッピールの調子から理性への説得にうつった。 この時期の評論が、どのように当時の世界革命文学の理論の段階を反映し、日本の独自な潰走の情熱とたたかっているかということについての研究は、極めて精密にされる必要がある。そして、当時のプ・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・やっと家のものを説得して専門学校は出たけれども、出てから先の生活を考えると、何ともいえない心持がして来る、だって、その先にある生活は、もう大体わかっているんですもの、と。そういう述懐をもっている方は、きょうの会に来ていらっしゃる方々の中に一・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・あるいは失業者の息子が二人、店に掻払いにきたのに、亀のチャーリーがつかまえて説得して「本」をやると「二人はやがていいピオニイルに成長して、いつも二人で組になって活動した」と。 あとからあとからそのようにしてつくられるピオニイルらは、どこ・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・キュリー夫人は戦争の長びくことが分るにつれ、あらゆる手段を講じて、官僚と衝突してそれを説得し、個人の援助も求めて自動車を手に入れ、それをつぎつぎに研究所で装置して送り出した。そのようにして集められた車は二十台あった。マリアはその一台を自分の・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・働くことを肯じがたい心持の失望と苦悩、そういう久作の昔気質の職人肌なものの考えかたは女房友代への態度にも発揮されて最後にその久作も情勢の圧力と妻の情愛、仲間たちのさしのばす手、情理をわきまえた理事長の説得などによって今は軍需品をつくっている・・・ 宮本百合子 「「建設の明暗」の印象」
・・・大いに堂々と云われている結論なり断定なりが、十分精密強固な客観的事実の綜合の結果として、そう云われざるを得ないものであったことを文章のなかで自然と納得させて行く、という魅力、説得力を欠いている。文筆上の軍需景気とユーモアをもってゴシップに現・・・ 宮本百合子 「今日の文章」
出典:青空文庫