・・・ 彼は、自分から癪に障るくらい哀れみを乞うような声を出してきいた。「あゝ。」 栗本の腕は、傷が癒えても、肉が刳り取られたあとの窪んだ醜い禿は消す訳に行かなそうだった。「福島はどうでしょうか、軍医殿。」「帰すさ。こんな骨膜・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ 左様いう塾に就いて教を乞うのは、誰か紹介者が有ればそれで宜しいので、其の頃でも英学や数学の方の私塾はやや営業的で、規則書が有り、月謝束修の制度も整然と立って居たのですが、漢学の方などはまだ古風なもので、塾規が無いのではありませんが至っ・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・ごく懇意でありまたごく近くである同じ谷中の夫の同僚の中村の家を訪い、その細君に立話しをして、中村に吾家へ遊びに来てもらうことを請うたのである。中村の細君は、何、あなた、ご心配になるようなことではございますまい、何でもかえってお喜びになるよう・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・向うで人に憐を乞うようなものに、あべこべにこっちから憐を乞おうとしたとは。さて老人はその場に立っていながら、忽ち体を背後へ向けた。それは自分の顔に表れる感情の闘を青年に見せまいとしたのである。「ええ、この若い男の胸の苦しいのは、自分の胸の苦・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・警戒近きにあり。請う君これを識れと。君笑って諾す。すなわちその顛末を書し、もって巻端に弁ず。 明治十九年十二月田口卯吉 識 田口卯吉 「将来の日本」
・・・本国に書を送って、全体で僅か七アルペントばかりにしかならぬ自分の地処の管理を頼んでおいた小作人が、農具を奪って遁走したことを訴え、且つ、妻子が困っているといけないから帰国してその始末を致したいと、暇を乞うた。 老いたるカトンは、サルジニ・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・他の雑誌に分載されるのだったら、こんな抜書きは許すべからざる犯罪にきまっているが、三百枚いちどに単行本として出版するんだから、まあ、五、六枚のところは、笑許、なんて言葉はない、御寛恕を乞う次第だ。どうせ映画の予告篇、結果に於いては、宣伝みた・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・迫害者に対しては常に受動的であり、教えを乞う者にはどんな馬鹿な質問にでも真面目に親切に答えている。 智能の世界においての貴族である彼は社会の一員としては生粋のデモクラットである。国家というものは、彼にとってはそれ自身が目的でも何でもない・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ それで、研学の徒はあまり頭のいい先生にうっかり助言を請うてはいけない。きっと前途に重畳する難関を一つ一つしらみつぶしに枚挙されてそうして自分のせっかく楽しみにしている企図の絶望を宣告されるからである。委細かまわず着手してみると存外指摘・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・もし以上の如き珍々先生の所論に対して不同意な人があるならば、請う試みに、旧習に従った極めて平凡なる日本人の住家について、先ずその便所なるものが縁側と座敷の障子、庭などと相俟って、如何なる審美的価値を有しているかを観察せよ。母家から別れたその・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫