・・・大衆に失望して山に帰る聖賢の清く、淋しき諦観が彼にもあったのだ。絶叫し、論争し、折伏する闘いの人日蓮をみて、彼を奥ゆかしき、寂しさと諦めとを知らぬ粗剛の性格と思うならあやまりである。 鎌倉幕府の要路者は日蓮への畏怖と、敬愛の情とをようや・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・る電車にゆられながら、暗鬱でもない、荒涼でもない、孤独の極でもない、智慧の果でもない、狂乱でもない、阿呆感でもない、号泣でもない、悶悶でもない、厳粛でもない、恐怖でもない、刑罰でもない、憤怒でもない、諦観でもない、秋涼でもない、平和でもない・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・あのお方の御環境から推測して、厭世だの自暴自棄だの或いは深い諦観だのとしたり顔して囁いていたひともありましたが、私の眼には、あのお方はいつもゆったりしていて、のんきそうに見えました。大声挙げてお笑いになる事もございました。その環境から推・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・三木清氏なども、ヒューマニズムへの情熱の必要を唱え、青年達が、大人の青年論に対して、冷淡であること、俗的日常主義に堕した気分の中で生活を引ずっている現象を、誤った客観主義と日本独特の東洋的諦観に害された自然主義的リアリズムとの結合と観察して・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・作品を貫いて流れているものは荷風年来の諦観である。その諦観にふさわしく統一された芸の巧さがあるにしても、若い作家たちまでがその驥尾に附して各自の芸術の行手にそれを仰ぐとすれば、それは奇怪と云わなければなるまい。当時の文学の混乱もこの頃云わば・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・に取扱われているそれとは全く反対の生ぬるい、澱んだ、東洋風の諦観に貫かれているのでもなければ、フィリップの作のように、生活への愛に満されているのでもない、ずるずるべったりの売笑婦とその連合いとの生活を描く作者の心境に対してはっきりした軽蔑を・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ 在来の所謂支那通の人の書くものを読むと、中国の民衆の心持の中に一番つよくあるのは、昔、ロシア人の気質は何につけてもニーチェヴォであると云われていたと同じような一種のどうでもよい主義の諦観であると語られているのであるが、果してそれはどう・・・ 宮本百合子 「中国文化をちゃんと理解したい」
・・・允子は何故、子供は生れたとき既に自分から離れていたのだ、と諦観する前に、抑々人間の本質的な離反とはどういうものかと考えなかったのだろう。人間交渉に真実を目ざすのが特質であるこの作者が、どうして、允子の自分の子ばかりとりかえそうとするエゴイス・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫