・・・―― その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。 どこ・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・稀に彼の口から洩れる辛辣な諧謔は明らかにそれを語るものである。弱点を見破る眼力はニーチェと同じ程度かもしれない。しかしニーチェを評してギラギラしていると云った彼はこれらの弱点に対してかなり気の永い寛容を示している。迫害者に対しては常に受動的・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・誹諧また俳諧は滑稽諧謔の意味だと言われていても、その滑稽が何物であるかがなかなかわかりにくい。古今集の誹諧哥が何ゆえに誹諧であるか、誹諧の連歌が正常の連歌とどう違うか。格式に拘泥しない自由な行き方の誹諧であるのか、機知頓才を弄するのが滑稽で・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・当なソナタやシンフォニーのように四楽章から成る場合だと、第一章が通例早いテンポのソナタ形式のもの、第二章がいわゆるスロームーヴメントで表情豊かな唱歌形式のもの、第三章が軽快な舞踏曲のようなもので、往々諧謔的なスケルツォが使われる。第四章がた・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・一九に点を与えるときには滑稽が下卑であるから五十とか、諧謔が自然だから九十とかきめなければならぬ。メリメのカルメンはカルメンと云う女性を描いて躍然たらしめている。あれを読んで人生問題の根元に触れていないから駄作だと云うのは数学の先生が英語の・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・独り楽天の文は既に老熟の境に達して居てことさらに人を驚かすような新文字もないけれどそれでありながらまた人を倦まさないように処々に多少諧謔を弄して山を作って居る。実に軽妙の筆、老錬の文というべきである。固より他の紀行と同日に論ずべきものでない・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・は、しんみりと演じ、落着いて見れば、味いのある深い鋭い諧謔を包んだ作品である。こういうものは、すっかり、ステパン、イワンになり切って、自分達が傍から見て可笑しい何を云っているのも気づかず段々熱中して行くところに、自然な人間的な微笑が現れる筈・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・私たちはよく、諧謔的にと添えがきされる場合を知っているが、諧謔は感情の性質として諷刺と同じではない。妥協的であっても諧謔的では、あり得るのだから。偉大な作曲家たちの精神のなかで、諷刺の本能はどんなに半醒の状態におかれていたのだろう。過去の雄・・・ 宮本百合子 「音楽の民族性と諷刺」
・・・ドアの内がひっそりとしているだけに、華奢な女靴と男靴とのごちゃまぜは何ともいえない諧謔があって、悪意なくこみ上げて来る笑いをおさえることが出来ない。六階はどうだろうと物ずき心を動かされ、すこし急いでのぼって見たら、やっぱり! ここにも同じこ・・・ 宮本百合子 「十四日祭の夜」
・・・落語をこのむ江戸庶民の感覚で、奥女中あがりを女房にした長屋の男の困却を諧謔の主題にしたものだった。奥女中だった女が、長屋ものの女房になってもまだ勿体ぶったお女中言葉をつかっている。そのみのない横柄ぶりが武士大名への諷刺として可笑しく笑わせる・・・ 宮本百合子 「菊人形」
出典:青空文庫