・・・江戸は諸国の老若貴賤が集まっている所だけに、敵の手がかりを尋ねるのにも、何かと便宜が多そうであった。そこで彼等はまず神田の裏町に仮の宿を定めてから甚太夫は怪しい謡を唱って合力を請う浪人になり、求馬は小間物の箱を背負って町家を廻る商人に化け、・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・水戸黄門諸国めぐり――」 穂積中佐は苦笑した。が、相手は無頓着に、元気のよい口調を続けて行った。「閣下は水戸黄門が好きなのだそうだ。わしは人臣としては、水戸黄門と加藤清正とに、最も敬意を払っている。――そんな事を云っていられた。」・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 知ることの浅く、尋ぬること怠るか、はたそれ詣ずる人の少きにや、諸国の寺院に、夫人を安置し勧請するものを聞くこと稀なり。 十歳ばかりの頃なりけん、加賀国石川郡、松任の駅より、畦路を半町ばかり小村に入込みたる片辺に、里寺あり、寺号は覚・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・その子を連れて、勧進比丘尼で、諸国を廻って親子の見世ものになったらそれまで、どうなるものか。……そうすると、気が易くなりました。」「ああ、観音の利益だなあ。」 つと顔を背けると、肩をそいで、お誓は、はらはらと涙を落した。「その御・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・「私は越前福井の者でござりまするが先年二人の親に死に別れてしまったのでこの様な姿になりましたけれ共それがもうよっぽど時はすぎましたけれ共どうしてもなくなった二親の事が忘られないのでせめて死後供養にもと諸国をめぐり歩くものでございまするから又・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・大きないいりんごの実を結ばして、それを諸国に出そうとしたのであります。 彼は、多くの人を雇って、木に肥料をやったり、冬になると囲いをして、雪のために折れないように手をかけたりしました。そのうちに木はだんだん大きく伸びて、ある年の春には、・・・ 小川未明 「牛女」
・・・そして、めいめいに諸国で見てきたこと、また聞いたことのおもしろい話や、不思議な話などを語り合って、夜を更かしました。また、それらの中には、自分と同じ年ごろの唄うたいがいて、マンドリンを鳴らして、いろいろな歌をうたって、みんなを楽しませていま・・・ 小川未明 「お姫さまと乞食の女」
・・・というのであった、彼も頗る不思議だとは思ったが、ただそれくらいのことに止まって、別に変った事も無かったので、格別気にも止めずに、やがて諸国の巡業を終えて、久振で東京に帰った、すると彼は間もなく、周旋する人があって、彼は芽出度く女房を娶った。・・・ 小山内薫 「因果」
・・・「私はその時は詮方がありませんから、妻を伴れて諸国巡礼に出ようと思ってたんです。私のようなものではしょせん世間で働いてみたってだめですし、その苦しみにも堪ええないのです。もっとも妻がいっしょに行く行かないということは、妻の自由ですが……・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・実に日蓮が闘争的、熱狂的で、あるときは傲慢にして、風波を喜ぶ荒々しき性格であるかのように見ゆる誤解は、この身延の隠棲九年間の静寂と、その間に諸国の信徒や、檀那や、故郷の人々等へ書かれた、世にもやさしく美しく、感動すべき幾多の消息によって、完・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
出典:青空文庫