・・・訪問客たちには、ひた隠しに隠しているが、無理な饗応がたたって、諸方への支払いになかなかつらいところも多い様子であった。無趣味は、時間的乃至は性格的な原因からでなくて、或いはかれの経済状態から拠って来たものかも知れない。 その日、男爵は二・・・ 太宰治 「花燭」
・・・冗談から駒が出た。諸方から同志が名乗って出たのである。その中の二人と、私は急激に親しくなった。私は謂わば青春の最後の情熱を、そこで燃やした。死ぬる前夜の乱舞である。共に酔って、低能の学生たちを殴打した。穢れた女たちを肉親のように愛した。Hの・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・教育者の家に生れて、父が転任を命じられる度毎に、一家も共に移転して諸方を歩いた。その父が東京のドイツ語学校の主事として栄転して来たのは、夫人の十七歳の春であった。間もなく、世話する人があって、新帰朝の仙之助氏と結婚した。一男一女をもうけた。・・・ 太宰治 「花火」
・・・もしできれば次に出版するはずの随筆集の表紙にこの木綿を使いたいと思って店員に相談してみたが、古い物をありだけ諸方から拾い集めたのだから、同じ品を何反もそろえる事は到底不可能だというので遺憾ながら断念した、新たに織らせるとなるとだいぶ高価にな・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ 日本人の精神生活の諸現象の中で、何よりも明瞭に、日本の自然、日本人の自然観、あるいは日本の自然と人とを引きくるめた一つの全機的な有機体の諸現象を要約し、またそれを支配する諸方則を記録したと見られるものは日本の文学や諸芸術であろう。・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・『江頭百詠』は静軒が天保八年『江戸繁昌記』のために罪を獲て江戸払となってから諸方に流浪し、十三年の後隅田川のほとりなる知人某氏の別荘に始めておちつく事を得た時、日々見る所の江上の風光を吟じたもので、嘉永二年に刊刻せられた一冊子である。『・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・此校を出て、大学を出て、諸方を迂路ついている時に教えたのが、此処にいる速水君であります。速水君を教える時分は熊本で教員生活をしておった時で漂泊生でありました。速水君を教えていた時分は偉くなかった、あるいは偉い事を知らなかったか、どっちかでし・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・実際には行われ難き事なれども、もしも諸方に行わるる政談演説を聴きて、その論勢の寛猛粗密を統計表につくりて見るべきものならば、そのいよいよ粗暴にして言論の無稽なる割合にしたがいて、その演説者もいよいよ不学なりとの事実を発明することあるべし。他・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・又異教派の方にも大分諸方から鉄道などでお出でになった方もあるようでありますが鉄道で一番自然なこと則ちなるべく人力を加えないようにしまするならば衝突や脱線や人を轢いたりするなどがいいようであります。そんならそれでいいではないかポイントマンだの・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ ―――――――――――― あくる日に国分寺からは諸方へ人が出た。石浦に往ったものは、安寿の入水のことを聞いて来た。南の方へ往ったものは、三郎の率いた討手が田辺まで往って引き返したことを聞いて来た。 中二日おいて・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫