・・・ このほか鳴雪、四方太、紅緑、等諸氏の句については近来見る処が少ないのでわざと評を省いて置く。〔『ホトトギス』第五巻第八号 明治35・5・20 二〕 正岡子規 「病牀苦語」
・・・「ビジテリアン諸氏に寄す。 諸君がどんなに頑張って、馬鈴薯とキャベジ、メリケン粉ぐらいを食っていようと、海岸ではあんまりたくさん魚がとれて困る。折角死んでも、それを食べて呉れる人もなし、可哀そうに、魚はみんなシャベルで釜になげ込・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 吉川英治、林房雄、尾崎士郎、榊山潤の諸氏によって、作家の戦線ルポルタージュは色どり華やかである。綜合雑誌の読者はこれらの作家によって書かれた報告的な文章を立てつづけて幾つかよまされているのであるが、果してこれ等のルポルタージュがニュー・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・そして、それが、文学の大衆性への翹望などというものから湧いている気持ではなくて、当今、人気作家と云われている作家たちは阿部知二、岸田国士、丹羽文雄その他の諸氏の通りみな所謂純文学作品と新聞小説と二股かけていて、新聞小説をかくことで、その作家・・・ 宮本百合子 「おのずから低きに」
・・・しかし、「戦術的には従来の共産党諸氏のやりかたには、与し得ない」として、左右両翼の反作用の時を、袖手傍観しないで促進するためにもと、世界人権宣言に改めて深い関心をよせている。 一九四九年の社会政治現象に対してこのような態度を示している中・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・舟橋聖一、小松清、豊田三郎の諸氏で、これらの人々は雑誌『行動』によって行動の文学を創らんとしたのであった。 彼等は作家のより広汎な社会生活と生活に対する積極性と若き時代のモラルとを自身に求めたのであった。けれども、第一これらの人々が社会・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・ 河上徹太郎、小林秀雄諸氏によって、その伝記が余り詳らかでないシェストフは日本文壇に渡来させられた。シェストフはキエフ生れのロシア人で一九一七年にロシアからフランスへ亡命した評論家である。『ドストイェフスキーとニイチェ』そのほか六巻の著・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・そのこころに通じるものがあるようで、火野葦平、林房雄、今日出海、上田広、岩田豊雄など今回戦争協力による追放から解除された諸氏に共通な感懐でもあろうか。 東京新聞にのった火野の文章のどこの行をさがしても、「昔にかえった」出版界の事情「老舗・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・たちを訪ねていられるし、また井上、元良両先生の方でも、田中喜一、得能、紀平などの諸氏とともに、学士会で西田先生のために会合を催していられる。田中、得能、紀平などの諸氏は、当時東京大学の哲学の講師の候補者であったらしい。西田先生はその八月の末・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
日本文化協会の催しで文楽座の人形使いの名人吉田文五郎、桐竹紋十郎諸氏を招いて人形芝居についての講演、実演などがあった。竹本小春太夫、三味線鶴沢重造諸氏も参加した。人形芝居のことをあまり知らない我々にとってはたいへんありがたい催しであっ・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫