・・・ しかしおぎんは幸いにも、両親の無知に染まっていない。これは山里村居つきの農夫、憐みの深いじょあん孫七は、とうにこの童女の額へ、ばぷちずものおん水を注いだ上、まりやと云う名を与えていた。おぎんは釈迦が生まれた時、天と地とを指しながら、「・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・そして着ながらもしこれが両親の許しを得た結婚であったならばと思った。父は恐らくあすこの椅子にかけて微笑しながら自分を見守るだろう。母と女中とは前に立ち後ろに立ちして化粧を手伝う事だろう。そう思いながらクララは音を立てないように用心して、かけ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・……小遣万端いずれも本家持の処、小判小粒で仕送るほどの身上でない。……両親がまだ達者で、爺さん、媼さんがあった、その媼さんが、刎橋を渡り、露地を抜けて、食べものを運ぶ例で、門へは一廻り面倒だと、裏の垣根から、「伊作、伊作」――店の都合で夜の・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・五ツになるのと七ツになる幼きものどもが、わがままもいわず、泣きもせず、おぼつかない素足を運びつつ泣くような雨の中をともかくも長い長い高架の橋を渡ったあわれさ、両親の目には忘れる事のできない印象を残した。 もう家族に心配はいらない。これか・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ お君というその姪、すなわち、そこの娘も、年は十六だが、叔母に似た性質で、――客の前へ出ては内気で、無愛嬌だが、――とんまな両親のしていることがもどかしくッて、もどかしくッてたまらないという風に、自分が用のない時は、火鉢の前に坐って、目・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・お母さんも同じ藩の武家生れだったが、やはり江戸で育って江戸風に仕込まれた。両親共に三味線が好きで、殊にお母さんは常磐津が上手で、若い時には晩酌の微酔にお母さんの絃でお父さんが一とくさり語るというような家庭だったそうだ。江戸の御家人にはこうい・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
若者は、小さいときから、両親のもとを離れました。そして諸所を流れ歩いていろいろな生活を送っていました。もはや、幾年も自分の生まれた故郷へは帰りませんでした。たとえ、それを思い出して、なつかしいと思っても、ただ生活のまにまに、その日その・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・ ところが寺田の両親が反対した。「お寺さん」という綽名はそれと知らずにつけられたのだが、実は寺田の生家は代々堀川の仏具屋で、寺田の嫁も商売柄僧侶の娘を貰うつもりだったのだ。反対された寺田は実家を飛び出すと、銀閣寺附近の西田町に家を借りて・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・弟二人、次弟の妻、それの両親など飛んで来て瞳孔を視ましたが開いては居ません。弟達は直ぐ電報を打ったり医者を呼ぶために出かけて行きました。 医者は直ぐ駆けつけて呉れましたが、最早実に落着いたものです。「ひどう苦しみましたか……たいした苦し・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・そのままの普段着で両親の家へ、急行に乗って、と彼は涙の中に決心していた。 梶井基次郎 「過古」
出典:青空文庫