・・・ある謡曲の中の一くさりが胸に浮んで来ると、彼女は心覚えの文句を辿り辿り長く声を引いて、時には耳を澄まして自分の嘯くような声に聞き入って、秋の夜の更けることも忘れた。 寝ぼけたような鶏の声がした。「ホウ、鶏が鳴くげな。鶏も眠られないと・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・あの煙突の真下の赤い西洋甍は、なんとかいう有名な将軍のものであって、あのへんから毎夜、謡曲のしらべが聞えるのだ。赤い甍から椎の並木がうねうねと南へ伸びている。並木のつきたところに白壁が鈍く光っている。質屋の土蔵である。三十歳を越したばかりの・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ 左隣の謡曲はまだ済まない。右の耳には此脅迫の声が聞えるのである。僕は思い掛けない話なので、暫くあっけに取られていた。そして今度逢ったらを繰り返すのを聞いて、何の思索の暇もなくこう云った。「何故今遣らないのだ。」「うむ。遣る。」・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・楽にはすこしく風流の趣向、または高尚の工夫なくんば、かの下等動物などの、もの食いて喉を鳴らすの図とさも似たる浅ましき風情と相成果申すべく、すなわち各人その好む所に従い、或いは詩歌管絃、或いは囲碁挿花、謡曲舞踏などさまざまの趣向をこらすは、こ・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・ 酒も煙草も甘いものもいっさいの官能的享楽を顧みなかった先生は、謡曲でも西洋音楽でも決してそれがただの享楽のためではなくて、やることが善いことだからやるのだというように見えた。休日に近郊などへ散歩に出かけられるのでも、やはり同様な見地か・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・たしか謡曲や仕舞も上手であったかと思う。若先生も典型的な温雅の紳士で、いつも優長な黒紋付姿を抱車の上に横たえていた。うちの女中などの尊敬の対象であったようである。その若先生が折々自分の我儘な願いに応じて「化学的手品」の薬品を調合してくれたり・・・ 寺田寅彦 「追憶の医師達」
・・・ 謡曲を宝生新氏に教わっていた。いつか謡って聞かされたときに、先生の謡は巻き舌だと言ったら、ひどいことを言うやつだと言っていつまでもその事を覚えておられた。 いつか早稲田の応接間で先生と話をしていたら廊下のほうから粗末な服装をした変・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・または謡曲のごま節や何かのようなものである。これらにはすべて一定の型があって、その形式をまず手本にしてかえって形式の内容をかたちづくる声とか身ぶりとか云う方をこの型にあて嵌るように拵らえて行くではないか。そうしてその声なり身ぶりなりが自然と・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・と何だか謡曲のような変なものを低くうなりながら向うへ歩いて行きました。 六平は十の千両ばこをよろよろしょって、もうお月さまが照ってるやら、路がどう曲ってどう上ってるやら、まるで夢中で自分の家までやってまいりました。そして荷物をどっかり庭・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・風変りな俊寛は、鬼界ヶ島で鬼と化した謡曲文学の観念を吹きはらって、勇壮に鰤釣りを行い、耕作を行い、土人の娘を妻として子供を五人生み、有王を驚殺するのである。日本の封建の伝統が近代日本の心にも伝えている生命への蔑視を、これらの作品はつよく否定・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
出典:青空文庫