・・・ 恒藤は又謹厳の士なり。酒色を好まず、出たらめを云わず、身を処するに清白なる事、僕などとは雲泥の差なり。同室同級の藤岡蔵六も、やはり謹厳の士なりしが、これは謹厳すぎる憾なきにあらず。「待合のフンクティオネンは何だね?」などと屡僕を困らせ・・・ 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・その頃の先生は面の色日に焼け、如何にも軍人らしき心地したれど、謹厳などと云う堅苦しさは覚えず。英雄崇拝の念に充ち満ちたる我等には、快活なる先生とのみ思われたり。 又夏目先生の御葬式の時、青山斎場の門前の天幕に、受附を勤めし事ありしが、霜・・・ 芥川竜之介 「森先生」
・・・峰はかの婦人のことにつきて、予にすら一言をも語らざりしかど、年齢においても、地位においても、高峰は室あらざるべからざる身なるにもかかわらず、家を納むる夫人なく、しかも渠は学生たりし時代より品行いっそう謹厳にてありしなり。予は多くを謂わざるべ・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・させて、切めては世間並の真人間にしなければ沼南の高誼に対して済まぬから、年長者の義務としても門生でも何でもなくても日頃親しく出入する由縁から十分訓誡して目を覚まさしてやろうと思い、一つはYを四角四面の謹厳一方の青年と信じ切らないまでも恩人の・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・「処、青山百人町の、鈴木主水というお侍いさんは……」と瞽女の坊の身振りをして、平生小六かしい顔をしている先生の意外な珍芸にアッと感服さしたというのはやはり昔し取った杵柄の若辰の物真似であったろう。「謹厳」が洋服を着たような満面苦渋の長谷川辰・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・主人側の伊井公侯が先ず俊輔聞多の昔しに若返って異様の扮装に賓客をドッと笑わした。謹厳方直容易に笑顔を見せた事がないという含雪将軍が緋縅の鎧に大身の槍を横たえて天晴な武者ぶりを示せば、重厚沈毅な大山将軍ですらが丁髷の鬘に裃を着けて踊り出すとい・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・そして最も謹厳な態度で、「じつは、私は、いろいろと……恐縮しておりますので……これで失礼します……」こう言って、恭しく頭をさげた。これでおしまいであったのだ。私にはいくらかあっけない、そしてぎすっとしたような感じがされたが、しかしむろん彼の・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあがって来た仔猫の耳を、話をしながら、しきりに抓っていた光景を忘れることができない。 このような疑惑は思いの外に執念深いものである。「切符切り」でパチンとやるというような、児戯に類した空想も、思い切って・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・ あの頃の自分は真面目なもので、酒は飲めても飲まぬように、謹厳正直、いやはや四角張た男であった。 老人連、全然惚れ込んでしまった。一にも大河、二にも大河。公立八雲小学校の事は大河でなければ竹箒一本買うことも決定るわけにゆかぬ次第。校・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・数しばしば社参する中に、修験者らから神怪幻詭の偉い談などを聞かされて、身に浸みたのであろう、長ずるに及んで何不自由なき大名の身でありながら、葷腥を遠ざけて滋味を食わず、身を持する謹厳で、超人間の境界を得たい望に現世の欲楽を取ることを敢てしな・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
出典:青空文庫