・・・十年目にはかなり広い農場を譲り受けていた。その時彼れは三十七だった。帽子を被って二重マントを着た、護謨長靴ばきの彼れの姿が、自分ながら小恥しいように想像された。 とうとう播種時が来た。山火事で焼けた熊笹の葉が真黒にこげて奇跡の護符のよう・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・その中に同じ故郷人が小さな軽焼屋の店を出していたのを譲り受け、親の名を継いで二代目服部喜兵衛と名乗って軽焼屋を初めた。その時が十六歳であった。屋号を淡島屋といったのは喜兵衛が附けたのか、あるいは以前からの屋号であったか判然しない。商牌及び袋・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・この社会の人の持っている諸有る迷信と僻見と虚偽と不健康とを一つ残らず遺伝的に譲り受けている。お召の縞柄を論ずるには委しいけれど、電車に乗って新しい都会を一人歩きする事なぞは今だに出来ない。つまり明治の新しい女子教育とは全く無関係な女なのであ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・葬を出す前に、神戸方で三右衛門が遭難当時に持っていた物の始末をした時、大小も当然伜宇平が持って帰る筈であったが、娘りよは切に請うて脇差を譲り受けた。そして宇平がそれを承諾すると、泣き腫らしていた、りよの目が、刹那の間喜にかがやいた。・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・あの男が少壮にして鉅万の富を譲り受けた時、どう云う志望を懐いていたか、どう云う活動を試みたか、それは僕に語る人がなかった。しかし彼が芸人附合を盛んにし出して、今紀文と云われるようになってから、もう余程の年月が立っている。察するに飾磨屋は僕の・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫