・・・遥かに下だが、私の町内と思うあたりを……場末で遅廻りの豆腐屋の声が、幽に聞えようというのじゃないか。 話にならん。いやしくも小児を預って教育の手伝もしようというものが、まるで狐に魅まれたような気持で、……家内にさえ、話も出来ん。 帰・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・一ツ目小僧の豆腐買は、流灌頂の野川の縁を、大笠を俯向けて、跣足でちょこちょこと巧みに歩行くなど、仕掛ものになっている。……いかがわしいが、生霊と札の立った就中小さな的に吹当てると、床板ががらりと転覆って、大松蕈を抱いた緋の褌のおかめが、とん・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 次第であるから、朝は朝飯から、ふっふっと吹いて啜るような豆腐の汁も気に入った。 一昨日の旅館の朝はどうだろう。……溝の上澄みのような冷たい汁に、おん羮ほどに蜆が泳いで、生煮えの臭さといったらなかった。…… 山も、空も氷を透すご・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・やると豆腐を買ってきまして、三日月様に豆腐を供える。後で聞いてみると「旦那さまのために三日月様に祈っておかぬと運が悪い」と申します。私は感謝していつでも六厘差し出します。それから七夕様がきますといつでも私のために七夕様に団子だの梨だの柿など・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・かれこれするうちに、はや、晩方となりますので、あちらで、豆腐屋のらっぱの音がきこえると、お母さんの心は、ますますせいたのでありました。 ちくちくと、縫っていられますうちに、糸が短くなって糸の先が、針孔からぬけてしまったのです。お母さんは・・・ 小川未明 「赤い実」
・・・しかも、きょう学校の帰りに、豆腐屋の長二に、自分がいじめられているのを、吉坊が助けてくれたのを、けっして忘れませんでした。いま、吉坊がぼんやり立ってさも乗りたそうに、自分の走るのを見ているのに気がつくと、車をとめて、「吉ちゃん、僕のうし・・・ 小川未明 「父親と自転車」
・・・ 中洲を出た時には、外はまだ明るく、町には豆腐屋の喇叭、油屋の声、点燈夫の姿が忙しそうに見えたが、俥が永代橋を渡るころには、もう両岸の電気燈も鮮やかに輝いて、船にもチラチラ火が見えたのである。清住町へ着いたのはちょうど五時で、家の者はい・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 外所は豆腐屋の売声高く夕暮近い往来の気勢。とてもこの様子ではと自分は急に起て帰ろうとすると、母は柔和い声で、「最早お帰りかえ。まア可いじゃアないか。そんなら又お来でよ」と軍曹の前を作ろった。 外へ出たが直ぐ帰えることも出来ず、・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・一ちょうの豆腐を十五銭に勘定した。ロシア人の馬車を使って、五割の頭をはねた。女郎屋のおやじになった。森林の利権を買って、それをまた会社へ鞘を取って売りつけた。日本軍が撤退すると、サヴエート同盟の経済力は、シベリアにおいても復旧した。社会主義・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・そうしてそれを豆腐の粕で以て上からぎゅうぎゅうと次第にこく。そうすると透き通るようにきれいになる。それを十六本、右撚りなら右撚りに、最初は出来ないけれども少し慣れると訳なく出来ますことで、片撚りに撚る。そうして一つ拵える。その次に今度は本数・・・ 幸田露伴 「幻談」
出典:青空文庫