・・・――内蔵助は、青空に象嵌をしたような、堅く冷い花を仰ぎながら、いつまでもじっと彳んでいた。 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・のみならず頸のまわりへ懸けた十字架形の瓔珞も、金と青貝とを象嵌した、極めて精巧な細工らしい。その上顔は美しい牙彫で、しかも唇には珊瑚のような一点の朱まで加えてある。…… 私は黙って腕を組んだまま、しばらくはこの黒衣聖母の美しい顔を眺めて・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・そして仏蘭西から輸入されたと思われる精巧な頸飾りを、美しい金象眼のしてある青銅の箱から取出して、クララの頸に巻こうとした。上品で端麗な若い青年の肉体が近寄るに従って、クララは甘い苦痛を胸に感じた。青年が近寄るなと思うとクララはもう上気して軽・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 清水の面が、柄杓の苔を、琅ろうかんのごとく、梢もる透間を、銀象嵌に鏤めつつ、そのもの音の響きに揺れた。「まあ、あれ、あれ、ご覧なさいまし、長刀が空を飛んで行く。」…… 榎の梢を、兎のような雲にのって。「桃色の三日月様のよう・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・も濡々と水際立つ、紫陽花の花の姿を撓わに置きつつ、翡翠、紅玉、真珠など、指環を三つ四つ嵌めた白い指をツト挙げて、鬢の後毛を掻いたついでに、白金の高彫の、翼に金剛石を鏤め、目には血膸玉、嘴と爪に緑宝玉の象嵌した、白く輝く鸚鵡の釵――何某の伯爵・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・若者は、金や、銀に、象眼をする術や、また陶器や、いろいろな木箱に、樹木や、人間の姿を焼き付ける術を習いました。 りんご畑には、朝晩、鳥がやってきました。子供は、よく口笛を吹いて、いろいろな鳥を集めました。そして、鳥の性質について若者に教・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・はでな織模様のある緞子の長衣の上に、更にはでな色の幅びろい縁を取った胴衣を襲ね、数の多いその釦には象眼細工でちりばめた宝石を用い、長い総のついた帯には繍取りのあるさまざまの袋を下げているのを見て、わたくしは男の服装の美なる事はむしろ女に優っ・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・花か蔦か或は葉か、所々が劇しく光線を反射して余所よりも際立ちて視線を襲うのは昔し象嵌のあった名残でもあろう。猶内側へ這入ると延板の平らな地になる。そこは今も猶鏡の如く輝やいて面にあたるものは必ず写す。ウィリアムの顔も写る。ウィリアムの甲の挿・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・全体が鋼鉄製で所々に象嵌がある。もっとも驚くのはその偉大な事である。かかる甲冑を着けたものは少なくとも身の丈七尺くらいの大男でなくてはならぬ。余が感服してこの甲冑を眺めているとコトリコトリと足音がして余の傍へ歩いて来るものがある。振り向いて・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・その中に正誤表を作った事や、象嵌で版型を改めた事を言った。然るにその正誤表がまだ世間に行き渡っていない。そこで正誤表を作ったと云うのは虚言だと云う人がある。あれは虚言ではない。正誤表は先ず第一部のが出来て、多少世間に出ている。次いで第二部の・・・ 森鴎外 「不苦心談」
出典:青空文庫