・・・の字町へ行ったり、たちまち豪奢を極め出しました。「青ペン」と言うのは亜鉛屋根に青ペンキを塗った達磨茶屋です。当時は今ほど東京風にならず、軒には糸瓜なども下っていたそうですから、女も皆田舎じみていたことでしょう。が、お松は「青ペン」でもとにか・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・しかもあのクレオパトラは豪奢と神秘とに充ち満ちたエジプトの最後の女王ではないか? 香の煙の立ち昇る中に、冠の珠玉でも光らせながら、蓮の花か何か弄んでいれば、多少の鼻の曲りなどは何人の眼にも触れなかったであろう。況やアントニイの眼をやである。・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・その世界に何故渇仰の眼を向け出したか、クララ自身も分らなかったが、当時ペルジヤの町に対して勝利を得て独立と繁盛との誇りに賑やか立ったアッシジの辻を、豪奢の市民に立ち交りながら、「平和を求めよ而して永遠の平和あれ」と叫んで歩く名もない乞食の姿・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・此処から中尊寺へ行く道は、参詣の順をよくするために、新たに開いた道だそうで、傾いた茅の屋根にも、路傍の地蔵尊にも、一々由緒のあるのを、車夫に聞きながら、金鶏山の頂、柳の館あとを左右に見つつ、俥は三代の豪奢の亡びたる、草の径を静に進む。 ・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・今では堀田伯の住邸となってる本所の故宅の庭園は伊藤の全盛時代に椿岳が設計して金に飽かして作ったもので、一木一石が八兵衛兄弟の豪奢と才気の名残を留めておる。地震でドウなったか知らぬが大方今は散々に荒廃したろう。(八兵衛の事蹟については某の著わ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「ここでこのまま日の暮れるまで坐っているということは、なんという豪奢な心細さだろう」と私は思った。「宿では夕飯の用意が何も知らずに待っている。そして俺は今夜はどうなるかわからない」 私は私の置き去りにして来た憂鬱な部屋を思い浮かべた・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・まことに茶道は最も遜譲の徳を貴び、かつは豪奢の風を制するを以て、いやしくもこの道を解すれば、おのれを慎んで人に驕らず永く朋友の交誼を保たしめ、また酒色に耽りて一身を誤り一家を破るの憂いも無く、このゆえに月卿雲客または武将の志高き者は挙ってこ・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・例えば当時の富人の豪奢の実況から市井裏店の風景、質屋の出入り、牢屋の生活といったようなものが窺われ、美食家や異食家がどんなものを嗜んだかが分かり、瑣末なようなことでは、例えば、万年暦、石筆などの存在が知られ、江戸で蝿取蜘蛛を愛玩した事実が窺・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・たとえ昔のお房に再会するような事があっても、今の自分を十年の昔豪奢を尽した父の子とは誰れが思おう。やもりを見て昔を思い出すと運命のたよりなさという事を今更のように感じる。そしてせっかく風呂に入って軽くなった心を腐らしてしまうのであった。・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・晩春五月の頃麗都の児女豪奢を競ってロンシャンの賽馬に赴く時、驟雨濺来って紅囲粉陣更に一段の雑沓を来すさま、巧にゾラが小説ナナの篇中に写し出されたりと記憶す。 紐育にては稀に夕立ふることあり。盛夏の一夕われハドソン河上の緑蔭を歩みし時驟雨・・・ 永井荷風 「夕立」
出典:青空文庫