・・・この知人と云うのも、その日暮しの貧乏人なのでございますが、絹の一疋もやったからでございましょう、湯を沸かすやら、粥を煮るやら、いろいろ経営してくれたそうでございます。そこで、娘も漸く、ほっと一息つく事が出来ました。」「私も、やっと安心し・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・大金持になれば御世辞を言い、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何という有難い志でしょう。何という健気な決心でしょう。杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しなが・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・ 貧乏人の子だくさんというようなことも、僕の今の心理状態と似よった理由で解釈されるのかもしれない。そうかといって、結婚二十年の古夫婦が、いまさら恋愛でもないじゃないか。人間の自然性だの性欲の満足だのとあまり流行臭い思想で浅薄に解し去って・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・俺は貧乏人だから絹が買えないといって、寒冷紗の裏へ黄土を塗って地獄変相図を極彩色で描いた。尤も極彩色といっても泥画の小汚い極彩色で、ことさらに寒冷紗へ描いた処に椿岳独特のアイロニイが現れておる、この画は守田宝丹が買ったはずだから、今でも宝丹・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・しかしながらその教会の建った歴史を聞いたときに、その歴史がこういう歴史であったと仮定めてごらんなさい……この教会を建てた人はまことに貧乏人であった、この教会を建てた人は学問も別にない人であった、それだけれどもこの人は己のすべての浪費を節して・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ また、村で、感冒が流行した時分にも、貧乏人の子供は、足袋も穿かず、木枯しの吹く中を薄着をして、少しも寒がらずに元気よく遊んでいた姿を見るにつけて、「苛められる者は、強い!」と、いう言葉を思い出しました。 過去に於て、この言葉は、真・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・金持の子供であろうと、また、貧乏人の子供であろうと選ぶところがないのだ。 それが、学校へ入った時分から各の環境によって、異って来る。社会の造った生活というものを知るからだ。 なぜ、こんな正しい、善良な、無邪気な子供が、こうしたよくな・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
・・・彼等は、いま、驕慢で、贅沢で、貧乏人を蔑んではいるが、いかなるまわり合せで、おちぶれて、空腹を感ずるような時がないとはかぎらないであろう。その時、果して、いやしい考えを起さないだろうかと。 これと同じ悲哀を、まのあたりに見るからです。曾・・・ 小川未明 「読むうちに思ったこと」
・・・貧しく育った彼は貧乏人の味方であり、社会改造の熱情に燃えていたが、学校の前でその運動のビラを配る時、彼のそんな服装が非常に役に立ったというくらい、汚ない恰好をしていたのである。 もっとも、貧乏だけで人はそんなに汚なくなるものではなかろう・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・……小田のような貧乏人から、香奠なんか貰うことになったのも、皆なKのせいだというんでね。かと云って、まさか僕に鉄唖鈴を喰わせる訳にも行かなかったろうからね。何しろ今の娑婆というものは、そりゃ怖ろしいことになって居るんだからね」「併し俺に・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫