・・・長い説教ではなかったが神の愛、貧窮の祝福などを語って彼がアーメンといって口をつぐんだ時には、人々の愛心がどん底からゆすりあげられて思わず互に固い握手をしてすすり泣いていた。クララは人々の泣くようには泣かなかった。彼女は自分の眼が燃えるように・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 私はこの社会に於て弱者に対して、若しくは貧窮者に対して、これを救うという場合に、単にそれを気の毒だから助けてやるとか、若しくは慈善は善なる行為であるから救うとかいうのでは、反ってその人間を堕落させるのみで、決して社会の為めになるもので・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・如何にせんとも死なめと云ひて寄る妹にかそかに白粉にほふ これは大正時代の、病篤き一貧窮青年の死線の上での恋の歌である。 私は必ずしも悲劇的にという気ではない。しかし緊張と、苦悩と、克服とのないような恋は所詮浅い、上調子な・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・「こんな筈ではなかった」という笑い話。けれども現在の此の私は、作家以外のものでは無い。先生、と呼ばれる事さえあるのです。ショパンを見捨て、山上憶良に転向しましょうか。「貧窮問答」だったら、いまの私の日常にも、かなりぴったり致します。こんなの・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・夫が戸外の経営に失敗して貧窮に沈むが如きは、是れは夫婦諸共の不幸にして、双方の間に一点の苦情ある可らず。一沈一浮共に苦楽を同うす可しと雖も、其夫の品行修らずして内に妾を飼い外に花柳に戯れ、敢て獣行を恣にして内を顧みざるが如きは、対等の配偶者・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・走し、遂に力尽きて降りたるまでは、幕臣の本分に背かず、忠勇の功名美なりといえども、降参放免の後に更に青雲の志を発して新政府の朝に富貴を求め得たるは、曩にその忠勇を共にしたる戦死者負傷者より爾来の流浪者貧窮者に至るまで、すべて同挙同行の人々に・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ 竹内てるよさんは、カリエスという病が不治であることのため徹也という愛児をおいて家を去り、貧窮の底をくぐって、今は、療養の伴侶であり、友である神谷暢氏と夫婦でない、結婚生活でない共同生活を十三年営んでおられる。「苦しみぬき、もま・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・結婚生活こそ出発と思い、そのためにこそ貧窮もその身で知っている人と結婚したのに、一つ屋根の下に暮して見れば、自分は翔びたくて日夜もがいて羽搏くし、そのひとは翔ぼうともせず小さい日向で羽交いの間に首を入れるばかりか、私の脚にいつの間にかついて・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・いい、無産者という一般的な社会層の中に、プロレタリアとして歴史を推進させてゆく自覚ある労働者部隊の革命的な任務が、はっきりさせられると一緒にプロレタリア文学は、アナーキストの権力否定の文学とも違うし、貧窮文学でもないし、下村千秋のようなルン・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・例えば信州の山奥で繭安価のために貧窮し、組合の組織を求めるようになった一農夫を描くとする。われわれプロレタリア作家の眼が、ただその局部的現象だけを捕えたのでは足りない。言葉としてその小説の中に書かれないにしろ、プロレタリア作家は信州の繭安価・・・ 宮本百合子 「プロレタリア文学における国際的主題について」
出典:青空文庫