・・・ 仕事に熱心な佐川は、新しい芸人を見つけると、貪欲な企画熱をあげるのだった。頼み方はおだやかだが、自分の企画に悦に入っている執拗さがあった。「いや、お言葉はありがたく頂戴しまっけど、どうも、人を笑わすいう気になれまへんので……」・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ いちいちにかぞえきたれば、その種類はかぎりもないが、要するに、死そのものを恐怖すべきではなくて、多くは、その個々が有している迷信・貪欲・痴愚・妄執・愛着の念をはらいがたい境遇・性質等に原因するのである。故に見よ。彼らの境遇や性質が、も・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 一々に数え来れば其種類は限りもないが、要するに死其者の恐怖すべきではなくて、多くは其個個が有せる迷信・貪欲・愚癡・妄執・愛着の念を払い得難き性質・境遇等に原因するのである、故に見よ、彼等の境遇や性質が若し一たび改変せられて、此等の事情・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・そして一年間の田舎の生活をむしろ貪欲に享楽していた。それが今、中年を過ぎた生涯の午後に、いつなおるかわからない頑固な胃病に苦しんでいる彼の心持ちは、だいぶちがったものであった……のみならず今度の病気は彼の外出を禁じてしまったので前の病気の時・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・やっと取り出した虫はかなり大きなものであった、紫黒色の肌がはち切れそうに肥っていて、大きな貪欲そうな口ばしは褐色に光っていた。袋の暗やみから急に強烈な春の日光に照らされて虫のからだにどんな変化が起こっているか、それは人間には想像もつかないが・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・そこで、貪欲の貪をとって貪魚という字があてはめられたのかも知れない。また、行動がすこぶる鈍重だから、一度見つけると、たいていは釣れる。ほとんど技術も入らない。しかし、釣りあげられても悠々たるもので、すこしもあばれない。鯉はマナイタの上にのせ・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・主人の貪欲不人情、竈の下の灰までも乃公の物なりと絶叫して傍若無人ならんには、如何に従順なる婦人も思案に余ることある可し。此時に当り婦人の身に附きたる資力は自から強うするの便りにして、徐々に謀を為すこと易し。仮令い斯くまでの極端に至らざるも、・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・「そこでは私の前に裸にされた貪欲な人々、粗暴な本能の人々が渦巻いていた」と。 もとは師範学校の学生で職業的な泥棒であり、ひどい肺病になっているバシュキンは新顔のゴーリキイに向って雄弁に吹き込んだ。「何だい、お前は。まるで娘っ子みたい・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ ジェルテルスキーは、戸棚からギターを出し一つ一つの響きを貪欲にたのしみながら調子を合わせ始めた。間に、エーゴルは妻に向って呟いた。「あとの責任は私の知ったことじゃないぞ」 マリーナが、夫の意味を諒解して、はっとする間もなく、・・・ 宮本百合子 「街」
・・・強い大将ならば、必要あって物を蓄える時には、貪欲と言われようと、意地ぎたないと言われようと、頓着しない。知行は人物や忠功を見て与えるのであって、外聞とかかわりはない。 外聞によって動くような臆病な大将の下では、軽佻な、腹のすわらぬ人物が・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫