・・・博士は、花屋へ、たいへんな決意を以て突入して、それから、まごつき、まごつき、大汗かいて、それでも、薔薇の大輪、三本買いました。ずいぶん高いのには、おどろきました。逃げるようにして花屋から躍り出て、それから、円タク拾って、お宅へ、まっしぐら。・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・こう云う不思議な店へこんな物を買いに来る人があるかと怪しんだが、実際そう云う御客は一度も見た事がなかった。それにもかかわらず店はいつでも飾られていてビール罎の花の枯れている事はなかった。 誰れにも訳のわからぬこの店には、心の知られぬ熊さ・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・此方の揚ったのは、忰の骨揚げのすんだ翌日でしたっけがね、私も詳しいことも知らねえが、△△中の船頭を一週間買いあげて、捜したそうです。これは×××大将の方からも、入費が出たそうで……その骨揚の日には、私も寄ばれましたっけが、忰の筺の品を二品ほ・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・また野菜を買いに八幡から鬼越中山の辺まで出かけてゆく。それはいずこも松の並木の聳えている砂道で、下肥を運ぶ農家の車に行き逢う外、殆ど人に出会うことはない。洋服をきたインテリ然たる人物に行逢うことなどは決してない。しかし人家はつづいている。人・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・今日は御味噌を三銭、大根を二本、鶉豆を一銭五厘買いましたと精密なる報告をするんだね。厄介きわまるのさ」「厄介きわまるなら廃せばいいじゃないか」と津田君は下宿人だけあって無雑作な事を言う。「僕は廃してもいいが婆さんが承知しないから困る・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・私しゃ花魁買いということを知ッたのは、お前さんとこが始めてなんだ。私しは他の楼の味は知らない。遊び納めもまたお前さんのとこなんだ。その間にはいろいろなことを考えたこともあッた、馬鹿なことを考えたこともあッた、いろいろなことを思ッたこともあッ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・然かのみならず不品行にして狡猾なる奴輩は、己が獣行を勝手にせんとして流石に内君の不平を憚り、乃ち策を案じて頻りに其歓心を買い其機嫌を取らんとし、衣裳万端その望に任せて之を得せしめ、芝居見物、温泉旅行、春風秋月四時の行楽、一として意の如くなら・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・死馬の骨を五百金に買いたる喩も思い出されておかしかりき。これ実に数年前のことなり。しかしてこの談一たび世に伝わるや、俳人としての蕪村は多少の名誉をもって迎えられ、余らまた蕪村派と目せらるるに至れり。今は俳名再び画名を圧せんとす。 かくし・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・あしたは日曜だけれども無くならないうちに買いに行こう。僕は国語と修身は農事試験場へ行った工藤さんから譲られてあるから残りは九冊だけだ。四月五日 日南万丁目へ屋根換えの手伝え(にやられた。なかなかひどかった。屋根の上にのぼ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・大小の軍需成金たちは、戦時利得税や、財産税をのがれるために濫費、買い漁りをしているから、インフレーションは決して緩和されない。却って、最近悪化して来ている。いくら、待遇改善しても、月給は物価に追いつく時は決してない。これがインフレーションの・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
出典:青空文庫