・・・ですから彼は帰朝すると間もなく、親の代から住んでいる両国百本杭の近くの邸宅に、気の利いた西洋風の書斎を新築して、かなり贅沢な暮しをしていました。「私はこう云っている中にも、向うの銅板画の一枚を見るように、その部屋の有様が歴々と眼の前へ浮・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 八、半可な通人ぶりや利いた風の贅沢をせざる事。 九、容貌風采共卑しからざる事。 十、精進の志に乏しからざる事。大作をやる気になったり、読み切りそうもない本を買ったりする如き。 十一、妄に遊蕩せざる事。 十二、視力の好き・・・ 芥川竜之介 「彼の長所十八」
・・・一例を挙げるならば、近き過去において自然主義者から攻撃を享けた享楽主義と観照論当時の自然主義との間に、一方がやや贅沢で他方がややつつましやかだという以外に、どれだけの間隔があるだろうか。新浪漫主義を唱える人と主観の苦悶を説く自然主義者との心・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・いいえ、天人なぞと、そんな贅沢な。裏長屋ですもの、くさばかげろうの幽霊です。 その手拭が、娘時分に、踊のお温習に配ったのが、古行李の底かなにかに残っていたのだから、あわれですね。 千葉だそうです。千葉の町の大きな料理屋、万翠楼の姉娘・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・この節、肉どころか、血どころか、贅沢な目玉などはついに賞翫した験がない。鳳凰の髄、麒麟の鰓さえ、世にも稀な珍味と聞く。虹の目玉だ、やあ、八千年生延びろ、と逆落しの廂のはずれ、鵯越を遣ったがよ、生命がけの仕事と思え。鳶なら油揚も攫おうが、人間・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ 然るに六十何人の大家族を抱えた榎本は、表面は贅沢に暮していても内証は苦しかったと見え、その頃は長袖から町家へ縁組する例は滅多になかったが、家柄よりは身代を見込んで笑名に札が落ちた。商売運の目出たい笑名は女運にも果報があって、老の漸く来・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・家の惣菜なら不味くても好いが、余所へ喰べに行くのは贅沢だから選択みをするのが当然であるというのが緑雨の食物哲学であった。その頃は電車のなかった時代だから、緑雨はお抱えの俥が毎次でも待ってるから宜いとしても、こっちはわざわざ高い宿俥で遠方まで・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・その心持を察してそういう贅沢な生活を送るような子供を主人公として童話を書いたとしたら、お嬢さんや坊ちゃん方は喜ぶかも知れない。或は、貧しい家に生れて、常に不足勝ちに育った子供等の中でも、こうした種類の童話を喜ぶものがあるかもしれない。けれど・・・ 小川未明 「童話を書く時の心」
・・・むしろ、他の贅沢な欲望のためになやんでいるのです。そして、かゝるなやみは、また、物質によって決して、満たされるものでありません。欲望には、限りがないからです。 余計なものを持たない。必要なものだけで足れりとした時に、却って、内面的の生活・・・ 小川未明 「文化線の低下」
・・・少し贅沢じゃないかな」「いや、贅沢といえば贅沢だが、しかしこりゃ僕の必需品なのだよ。珈琲はともかく、煙草がないと、一行も書けないんだからね。その代り、酒はやめた。酒は仕事の邪魔になるからね」「仕事を大事にする気はわかるが、仕事のため・・・ 織田作之助 「鬼」
出典:青空文庫