・・・その恰好は贔屓眼に見ても、大川の水へ没するよりは、蚊帳へはいるのに適当していた。 空虚の舞台にはしばらくの間、波の音を思わせるらしい、大太鼓の音がするだけだった。と、たちまち一方から、盲人が一人歩いて来た。盲人は杖をつき立てながら、その・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・――この時の事は後になっても、和尚贔屓の門番が、樒や線香を売る片手間に、よく参詣人へ話しました。御承知かも知れませんが、日錚和尚と云う人は、もと深川の左官だったのが、十九の年に足場から落ちて、一時正気を失った後、急に菩提心を起したとか云う、・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・ 赤木は昔から李太白が贔屓で、将進酒にはウェルトシュメルツがあると云うような事を云う男だから、僕の読んでいる本に李太白の名がないと、大に僕を軽蔑した。そこで僕も黙っていると負けた事にされるから暑いのを我慢して、少し議論をした。どうせ暇つ・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・ 裾を曳いて帳場に起居の女房の、婀娜にたおやかなのがそっくりで、半四郎茶屋と呼ばれた引手茶屋の、大尽は常客だったが、芸妓は小浜屋の姉妹が一の贔屓だったから、その祝宴にも真先に取持った。……当日は伺候の芸者大勢がいずれも売出しの白粉の銘、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 一体三味線屋で、家業柄出入るものにつけても、両親は派手好なり、殊に贔屓俳優の橘之助の死んだことを聞いてから、始終くよくよして、しばらく煩ってまでいたのが、その日は誕生日で、気分も平日になく好いというので、髪も結って一枚着換えて出たので・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 五 密と、筒袖になっている襦袢の端で目を拭い、「それでございますから一日でも顔を見ませんと寂しくってなりません、そういうことになってみますると、役者だって贔屓なのには可い役がさしてみとうございましょう、立派・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ こう言うのは深田贔屓の連中だ。「そうでないさ、省作だって婿になると決心した時には、おとよの事はあきらめていたにきまってるさ。第一省作が婿になる時にゃ、おとよはまだ清六の所にいたじゃないか。深田も懇望してもらった以上は、そんな過ぎ去・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・新内の若辰が大の贔負で、若辰の出る席へは千里を遠しとせず通い、寄宿舎の淋しい徒然には錆のある声で若辰の節を転がして喝采を買ったもんだそうだ。二葉亭の若辰の身振声色と矢崎嵯峨の屋の談志の物真似テケレッツのパアは寄宿舎の評判であった。嵯峨の屋は・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 光代は向き直りて、父様はなぜそう奥村さんを御贔負になさるの。と不平らしく顔を見る。なぜとはどういう心だ。誉めていいから誉めるのではないか。と父親は煙草を払く。それだっても、他人ではありませぬか。と思いありげなる娘の顔。うむ、分った。綱・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・慶応贔屓で、試合の仲継放送があると、わざわざ隣村の時計屋の前まで、自転車できゝに出かけた。 五月一日の朝のことである。今時分、O市では、中ノ島公園のあの橋をおりて、赤い組合旗と、沢山の労働者が、どん/\集っていることだろうな、と西山は考・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
出典:青空文庫