・・・一本ずつ眼をくぎって行くプラットフォオムの柱、置き忘れたような運水車、それから車内の誰かに祝儀の礼を云っている赤帽――そう云うすべては、窓へ吹きつける煤煙の中に、未練がましく後へ倒れて行った。私は漸くほっとした心もちになって、巻煙草に火をつ・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・ それから、中央停車場へはいると、入口にいた赤帽の一人が、突然千枝子に挨拶をした。そうして「旦那様はお変りもございませんか。」と云った。これも妙だったには違いない。が、さらに妙だった事は、千枝子がそう云う赤帽の問を、別に妙とも思わなかっ・・・ 芥川竜之介 「妙な話」
・・・何、黒山の中の赤帽で、そこに腕組をしつつ、うしろ向きに凭掛っていたが、宗吉が顔を出したのを、茶色のちょんぼり髯を生した小白い横顔で、じろりと撓めると、「上りは停電……下りは故障です。」 と、人の顔さえ見れば、返事はこう言うものと極め・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・などと門口に貼るよりも未だましだが、たとえば旅行すると、赤帽に二十円、宿屋の番頭に三十円などと呉れてやるのも、悪趣味だった。もっとも、これは大勢人の見ている時に限った。無論、妾も置いた。おれの知っている限りでは、十七歳と三十二歳の二人、後者・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 汽車の上り下りには赤帽が世話をする、車中では給仕が世話をする、食堂車がある、寝台車がある、宿屋の手代は停車場に出迎えて居る、と言ったような時世になったのですから、今の中等人士は昔時の御大名同様に人の手から手へ渡って行って、ひどく大切に・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・やはり土人の巡査が、赤帽を着て足にはサンダルをはき、鞭をもって甲板に押し上がろうとする商人を制していた。 一時に出帆。昨夜電扇が止まって暑くて寝られなかったので五時半ごろまで寝た。夜九時にバベルマンデブの海峡を過ぎた。熱帯とも思われぬよ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・そこら中を見ても、駅長や赤帽らしい人の、影もなかったのです。 二人は、停車場の前の、水晶細工のように見える銀杏の木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこから幅の広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通っていました。 さきに降りた人た・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 荷物を出す番になって赤帽がまるで少ない。みんな順ぐりだ。人気ないプラットフォームの上に立って車掌がおろした荷物の番をしている。足の先に覚えがなくなった。 ――寒いですね。 猟銃を肩にかけて皮帽子をかぶった男が、やっぱり荷物の山・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・東海道本線では有名で、幾とおりものプラットフォームには、殆どいつも長い客車、貨物列車のつながりが出入りしているのに、駅じゅうに赤帽がたった一人しかいない。しかもその赤帽である若い男は、何と呑気な生れつきであろうか。もう一つの特色として、この・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・ その伯父と云う人は千世子に通り一ぺんの口を利くとそのまんま赤帽の方へ行った。 ただ見かけただけだったにしろ、ろくに笑いもしない様な伯父と京都まで差し向いで居なければならないのかと思うと斯うやって満足して居る京子がみじめな様に思われ・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
出典:青空文庫