あかまつかつまろ【赤松克麿】
[1894〜1955]社会運動家。山口の生まれ。東大在学中、新人会を創立。日本共産党創立に参加。弾圧にあい転向。社会民衆党書記長となるが、国家社会主義に転じ、のち大政翼賛会企画部長。
あかまつのりむら【赤松則村】
[1277〜1350]南北朝時代の武将。法名は円心。元弘の変では天皇方に属して討幕に参加したが、建武の中興後は足利尊氏 (あしかがたかうじ) を助けて北軍で活躍し、播磨 (はりま) の守護となった。
あかまつみつすけ【赤松満祐】
[1381〜1441]室町中期の武将。則村の曽孫。播磨 (はりま) ・備前・美作 (みまさか) の守護。嘉吉 (かきつ) の乱で将軍足利義教 (あしかがよしのり) を殺して領国播磨に帰り追討軍に攻められて自害。
あかまつよしのり【赤松義則】
[1358〜1427]南北朝・室町初期の武将。則祐の子。明徳の乱で山名氏追討に戦功をあげ、旧領美作 (みまさか) を回復、播磨・備前と合わせて三国の守護職を兼ねた。また、侍所の所司となって四職 (ししき) の一つとなった。