・・・ 今朝、上野を出て、田端、赤羽――蕨を過ぎる頃から、向う側に居を占めた、その男の革鞄が、私の目にフト気になりはじめた。 私は妙な事を思出したのである。 やがて、十八九年も経ったろう。小児がちと毛を伸ばした中僧の頃である。……秋の・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 六「昨年のことで、妙にまたいとこはとこが搦みますが、これから新宿の汽車や大久保、板橋を越しまして、赤羽へ参ります、赤羽の停車場から四人詰ばかりの小さい馬車が往復しまする。岩淵の渡場手前に、姉の忰が、女房持で水呑・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・新宿赤羽間の鉄道線路に一人の轢死者が見つかった。 轢死者は線路のそばに置かれたまま薦がかけてあるが、頭の一部と足の先だけは出ていた。手が一本ないようである。頭は血にまみれていた。六人の人がこのまわりをウロウロしている。高い土手の上に子守・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・芝公園の中を抜けて電車の乗場のある赤羽橋の畔までも随いて来た。 お三輪も別れがたく思って、「いろいろお世話さま。来られるようだったら、また来ますよ。お力、待っていておくれよ」 それを聞くと、お力は精気の溢れた顔を伏せて、眼のふち・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・芝区赤羽町一番地、白石生。太宰治大先生。或る種の実感を以って、『大先生』と一点不自然でなく、お呼びできます。大先生とは、むかしは、ばかの異名だったそうですが、いまは、そんなことがない様で、何よりと愚考いたします。」「治兄。兄の評判大いに・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ ――…………。 ――あてにして来たので、一銭もないのです。うちへかえればございます。すぐお返しできます。一円でも、二円でも。 ――市内に友人ないのか。 ――赤羽におじさん居ります。 ――そんなら歩いてかえりたまえ。なん・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・しかしとにかく一度ゴルフ場へお伴をして見学だけさせてもらおうということになって、今年の六月末のある水曜日の午前に二人で駒込から円タクを拾って赤羽のリンクへ出かけた。空梅雨に代表的な天気で、今にも降り出しそうな空が不得要領に晴れ、太陽が照りつ・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・殊に三月の末であったか、碧梧桐一家の人が赤羽へ土筆取りに行くので、妹も一所に行くことになった時には予まで嬉しい心持がした。この一行は根岸を出て田端から汽車に乗って、飛鳥山の桜を一見し、それからあるいて赤羽まで往て、かねて碧梧桐が案内知りたる・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ 十日 雨 さい、妹と二人赤羽に行き、到頭弟が北千住に行ったことを確む。 国男自動車で藤沢を通り倉知一族と帰京、基ちゃん報知に来てくれる。自分雨をおかし、夜、二人で、林町に行きよろこぶ。 自転車に日比谷でぶつかり、足袋裸・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・私共の列車が、始めて川口、赤羽間の鉄橋を通過した。その日から、大宮までであった終点が、幸い日暮里までのびたのであった。厳しい警戒の間を事なく家につき、背負った荷を下して、無事な父の顔を見たとき、私は、有難さに打れ、笑顔も出来なかった。父は、・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫