あしかがうじみつ【足利氏満】
[1359〜1398]南北朝時代の武将。基氏の子。鎌倉公方 (くぼう) 。将軍義満を除こうとしたが、執事上杉憲春の諫死 (かんし) により中止。以後は関東・奥羽の支配に努めた。
あしかがおり【足利織】
足利市付近で織られる織物の総称。特に銘仙は有名。
あしかががっこう【足利学校】
足利市昌平町にあった学問所。創設者には諸説がある。室町期に上杉憲実 (うえすぎのりざね) が再興。武士・僧侶・医師に儒書・易書・医書などを講述した。天文〜慶長・元和(1532〜1624)ごろが最盛期で「坂東の学校」と称され、明治初年まで存続した。現在、敷地内に足利学校遺跡図書館があり、宋版など貴重な典籍群を所蔵。
あしかがし【足利市】
⇒足利
あしかがしげうじ【足利成氏】
[1434〜1497]室町中期の武将。鎌倉公方 (くぼう) となり、享徳3年(1454)管領上杉憲忠 (うえすぎのりただ) を殺して幕府と対立。翌年下総 (しもうさ) 古河 (こが) に移り、古河公方と称した。
あしかがじだい【足利時代】
室町時代のこと。
あしかがたかうじ【足利尊氏】
[1305〜1358]室町幕府初代将軍。在職1338〜1358。初め高氏と称し、後醍醐天皇の諱 (いみな) 尊治の一字を賜って改名。元弘の変で六波羅 (ろくはら) を攻め落としたが、のち天皇に背き、持明院統 (じみょういんとう) の光明天皇を立てて北朝を興した。延元3=暦応元年(1338)に征夷大将軍となり、室町幕府を創始。 山路愛山による歴史評論。明治42年(1909)刊。
あしかがただふゆ【足利直冬】
南北朝時代の武将。尊氏の子。直義 (ただよし) の養子。高師直 (こうのもろなお) に追われ九州に逃れたが勢力を回復。直義の死後南朝に帰順。一時入京したが間もなく奪回され、以後中国地方を転々とした。生没年未詳。
あしかがただよし【足利直義】
[1306〜1352]南北朝時代の武将。尊氏の弟。尊氏とともに建武の中興に参加したが、のちに不和となり、毒殺された。錦小路殿。
あしかがばくふ【足利幕府】
⇒室町幕府