・・・御承知かも知れませんが、日錚和尚と云う人は、もと深川の左官だったのが、十九の年に足場から落ちて、一時正気を失った後、急に菩提心を起したとか云う、でんぼう肌の畸人だったのです。「それから和尚はこの捨児に、勇之助と云う名をつけて、わが子のよ・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・ 戸を開けて外に出ると事務所のボンボン時計が六時を打った。びゅうびゅうと風は吹き募っていた。赤坊の泣くのに困じ果てて妻はぽつりと淋しそうに玉蜀黍殻の雪囲いの影に立っていた。 足場が悪いから気を付けろといいながら彼の男は先きに立って国・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・と、その両肱は棚のようなものに支えられて、膝がしらも堅い足場を得ていた。クララは改悛者のように啜泣きながら、棚らしいものの上に組み合せた腕の間に顔を埋めた。 泣いてる中にクララの心は忽ち軽くなって、やがては十ばかりの童女の時のような何事・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ ああ、それがため足場を取っては、取替えては、手を伸ばす、が爪立っても、青い巾を巻いた、その振分髪、まろが丈は……筒井筒その半にも届くまい。 三 その御手洗の高い縁に乗っている柄杓を、取りたい、とまた稚児がそ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・新しく建て増した柱立てのまま、筵がこいにしたのもあり、足場を組んだ処があり、材木を積んだ納屋もある。が、荒れた厩のようになって、落葉に埋もれた、一帯、脇本陣とでも言いそうな旧家が、いつか世が成金とか言った時代の景気につれて、桑も蚕も当たった・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ と老人は狼狽えて、引き戻さんと飛び行きしが、酔眼に足場をあやまり、身を横ざまに霜を辷りて、水にざんぶと落ち込みたり。 このとき疾く救護のために一躍して馳せ来たれる、八田巡査を見るよりも、「義さん」と呼吸せわしく、お香は一声呼び懸け・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・その堂がもう出来て、切組みも済ましたで、持込んで寸法をきっちり合わす段が、はい、ここはこの通り足場が悪いと、山門内まで運ぶについて、今日さ、この運び手間だよ。肩がわりの念入りで、丸太棒で担ぎ出しますに。――丸太棒めら、丸太棒を押立てて、ごろ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ そこは渡辺橋の南詰を二三軒西へ寄った川っぷちで、ふと危そうな足場だったから、うしろから見ると、今にも川へ落ちそうだった。 豹吉はその男の背中を見ていると、妙にうずうずして来た。 今日の蓋あけに出くわしたその男の相手に、何か意表・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・頂きの近いところに、少し残っている足場が青い澄んだ冬の空に、輪郭をハッキリ見せていた。「君、あれが君たちの懐しの警視庁だぜ。」 と看守がニヤ/\笑って、左側の窓の方を少しあけてくれた。俺ともう一人の同志は一寸顔を見合せた。――警視庁・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・――こんなに弾圧が強く、全部の組織が壊滅してしまったとき、この遺族のお茶の集まりだって又新しく仕事をやって行く何かの足場になるのではないか、さすがしっかりものの窪田さんがそんな風に考えてのことらしいの。 その日は十人位の母たちや細君が集・・・ 小林多喜二 「母たち」
出典:青空文庫