・・・ 陸軍主計の軍服を着た牧野は、邪慳に犬を足蹴にした。犬は彼が座敷へ通ると、白い背中の毛を逆立てながら、無性に吠え立て始めたのだった。「お前の犬好きにも呆れるぜ。」 晩酌の膳についてからも、牧野はまだ忌々しそうに、じろじろ犬を眺め・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・彼れはいきなり女に飛びかかって、所きらわず殴ったり足蹴にしたりした。女は痛いといいつづけながらも彼れにからまりついた。そして噛みついた。彼れはとうとう女を抱きすくめて道路に出た。女は彼れの顔に鋭く延びた爪をたてて逃れようとした。二人はいがみ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・が、さし身の角が寝たと言っては、料理番をけなしつけ、玉子焼の形が崩れたと言っては、客の食べ余を無礼だと、お姑に、重箱を足蹴にされた事もあります。はじめは、我身の不束ばかりと、怨めしいも、口惜いも、ただ謹でいましたが、一年二年と経ちますうちに・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・しかし古い立派な人の墓を掘ることは行われた事で、明の天子の墓を悪僧が掘って種の貴い物を奪い、おまけに骸骨を足蹴にしたので罰が当って脚疾になり、その事遂に発覚するに至った読むさえ忌わしい談は雑書に見えている。発掘さるるを厭って曹操は多くの偽塚・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ほかの人だったら、足蹴にして追い散らしてしまったにちがいない。私のそんな親切なもてなしも、内実は、犬に対する愛情からではなく、犬に対する先天的な憎悪と恐怖から発した老獪な駈け引きにすぎないのであるが、けれども私のおかげで、このポチは、毛並も・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・って来て、よくもまあ恥かしくもなく、のこのこ帰って来られたものだとおれは呆れてお前たちには口もききたくない気持だったが、しかし、お前もいまはおれの娘ではないんだし、島田という出征軍人の奥様なのだから、足蹴にして追い出すわけにもゆかず、まあ、・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・ 引きちぎったり踏み躪ったりした藁束を、憎さがあまって我ながら、どうしていいのか分らないように足蹴にしながら、水口まで来ると、お石は上り框に突伏してオイオイ、オイオイと手放しで号泣した。怨んだとて、呪ったとて、海老屋の年寄にはどうせかな・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・番頭が怪しからん小僧を足蹴にした。主人は重い金の指環で頭を殴りつけた。サーシャは厳しく云うのであった。「何もおかしいことなんかないじゃないか! 女ってものはな、靴なんかいらなくったって、好きな番頭の顔さえ見れば、欲しくないものまで買うん・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・じゃが枕を足蹴にするということがあるか。このままには済まんぞ」こう言って抜打ちに相役を大袈裟に切った。 小姓は静かに相役の胸の上にまたがって止めを刺して、乙名の小屋へ行って仔細を話した。「即座に死ぬるはずでござりましたが、ご不審もあろう・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫