・・・けれども保吉の内生命には、――彼の芸術的情熱には畢に路傍の行人である。その路傍の行人のために自己発展の機会を失うのは、――畜生、この論理は危険である! 保吉は突然身震いをしながら、クッションの上に身を起した。今もまたトンネルを通り抜けた・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・李小二は丁度、商売から帰る所で、例の通り、鼠を入れた嚢を肩にかけながら、傘を忘れた悲しさに、ずぶぬれになって、市はずれの、人通りのない路を歩いて来る――と、路傍に、小さな廟が見えた。折から、降りが、前よりもひどくなって、肩をすぼめて歩いてい・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・人の知った名水で、並木の清水と言うのであるが、これは路傍に自から湧いて流るるのでなく、人が囲った持主があって、清水茶屋と言う茶店が一軒、田畝の土手上に廂を構えた、本家は別の、出茶屋だけれども、ちょっと見霽の座敷もある。あの低い松の枝の地紙形・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・道すがら、既に路傍の松山を二処ばかり探したが、浪路がいじらしいほど気を揉むばかりで、茸も松露も、似た形さえなかったので、獲ものを人に問うもおかしいが、且は所在なさに、連をさし置いて、いきなり声を掛けたのであったが。「いいえ、実盛塚へは―・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・やがて自分は路傍の人と別れるように、その荒廃の跡を見捨てて去った。水を恐れて連夜眠れなかった自分と、今の平気な自分と、何の為にしかるかを考えもしなかった。 家族の逃げて行った二階は七畳ばかりの一室であった。その家の人々の外に他よりも四、・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・忘れん慈父の訓 飄零枉げて受く美人の憐み 宝刀一口良価を求む 貞石三生宿縁を証す 未だ必ずしも世間偉士無からざるも 君が忠孝の双全を得るに輸す 浜路一陣のこうふう送春を断す 名花空しく路傍の塵に委す 雲鬟影を吹いて緑地に粘す・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・丁度植物学者が路傍の雑草にまで興味を持って精しく研究すると同一の態度であった。 この点では私は全く反対であった。私は自分が悪文家であるからでもあろうが、夙くから文章を軽蔑する極端なる非文章論を主張し、かつて紅葉から文壇の野獣視されて、君・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・そして、路傍に咲いているたんぽぽの花は馬に踏まれて砕かれてしまいました。 野原の上は静かになりました。あくる日もあくる日もいい天気で、もう馬は通らなかった。 小川未明 「いろいろな花」
・・・が、それは足が穿いている下駄ではなかった。路傍に茣蓙を敷いてブリキの独楽を売っている老人が、さすがに怒りを浮かべながら、その下駄を茣蓙の端のも一つの上へ重ねるところを彼は見たのである。「見たか」そんな気持で堯は行き過ぎる人びとを振り返っ・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・志村も同じ心、後になり先になり、二人で歩いていると、時々は路傍に腰を下ろして鉛筆の写生を試み、彼が起たずば我も起たず、我筆をやめずんば彼もやめないという風で、思わず時が経ち、驚ろいて二人とも、次の一里を駆足で飛んだこともあった。 爾来数・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
出典:青空文庫