・・・というのは上る時は少も気がつかなかったが路傍にある木の枝から人がぶら下っていたことです。驚きましたねエ、僕は頭から冷水をかけられたように感じて、其所に突立って了いました。「それでも勇気を鼓して近づいてみると女でした、無論その顔は見えない・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・そして、路傍に群がって珍らしげに見物している子供達をあとに、次のB村、H村へ走った。五 十一月になった。 ある夜、トシエは子を産んだ。兄は、妻の産室に這入った。が、赤ン坊の叫び声はなかった。分娩のすんだトシエは、細くなっ・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・やがて、路傍の草が青い芽を吹きだした。と、向うの草原にも、こちらの丘にも、処々、青い草がちら/\しだした。一週間ほどするうちに、それまで、全く枯野だった草原が、すっかり青くなって、草は萌え、木は枝を伸し、鵞や鶩が、そここゝを這い廻りだした。・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・三つばかり買いてなお進み行くに、路傍に清水いづるところあり。椀さえ添えたるに、こしかけもあり。草を茵とし石を卓として、谿流のえいかいせる、雲烟の変化するを見ながら食うもよし、かつ価も廉にして妙なりなぞとよろこびながら、仰いで口中に卵を受くる・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ 年とった嫂だけは山駕籠、その他のものは皆徒歩で、それから一里ばかりある静かな山路を登った。路傍に咲く山つつじでも、菫でも、都会育ちの末子を楽しませた。登れば登るほど青く澄んだ山の空気が私たちの身に感じられて来た。旧い街道の跡が一筋目に・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・脚は固かった。路傍の白楊の杙であった。私は泥にうつぶして、いまこそおいおい声をたてて泣こう泣こうとあせったけれど、あわれ、一滴の涙も出なかった。 くろんぼ くろんぼは檻の中にはいっていた。檻の中は一坪ほどのひろさであ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・黄昏の巷、風を切って歩いた。路傍のほの白き日蓮上人、辻説法跡の塚が、ひゅっと私の視野に飛び込み、時われに利あらずという思いもつかぬ荒い言葉が、口をついて出て、おや? と軽くおどろき、季節に敗けたから死ぬるのか、まさか、そうではあるまいな? ・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・高粱の高い影は二間幅の広い路を蔽って、さらに向こう側の高粱の上に蔽い重なった。路傍の小さな草の影もおびただしく長く、東方の丘陵は浮き出すようにはっきりと見える。さびしい悲しい夕暮れは譬え難い一種の影の力をもって迫ってきた。 高粱の絶えた・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・何も人間が通るのに、評判を立てるほどのこともないのだが、淋しい田舎で人珍しいのと、それにこの男の姿がいかにも特色があって、そして鶩の歩くような変てこな形をするので、なんともいえぬ不調和――その不調和が路傍の人々の閑な眼を惹くもととなった。・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・途上の人は大きな小説中の人物になって路傍の石塊にも意味が出来る。君は文学者になったらいいだろうと自分は言った事もあるが、黒田は医科をやっていた。 あの頃よく話の種になったイタリア人がある。名をジュセッポ・ルッサナとかいって、黒田の宿の裏・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
出典:青空文庫