・・・定めし椿岳の面目を躍如たらしめた奇文であったろうと思う。が、伯爵邸は地震の中心の本所であったから、屏風その物からして多分焼けてしまったろうし、学海の逸文もまた失われてしまったろう。円福寺の椿岳の画 椿岳の大作ともいうべきは牛込の円福・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・の夏子の愛くるしさは躍如としているし、その愛らしい妹への野々村の情愛、夏子を愛する村岡の率直な情熱、思い設けない夏子の病死と死の悲しみにたえて行こうとする村岡の心持など、いかにもこの作者らしい一貫性で語られている。 こういう文章のたちと・・・ 宮本百合子 「「愛と死」」
・・・の某氏、病弱な彫刻家である某氏、若いうちから独身で、囲碁の師匠をし、釈宗演の弟子のようなものであった某女史、決して魚を食わない土方の親方某、通称家鴨小屋の主人某、等々が、宇野浩二氏の筆をもってすれば、躍如として各の真面目を発揮させられるだろ・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・しかし、不撓な生きてであったゴーリキイの面目を躍如と語る評価を「マカールの生涯の一事件」に対して自ら下している「もしもこの小説の文学的価値について云わないならば――その中には私にとって、ある快よい何物かがある。あたかも私が自分自身を乗越えた・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ 短い言葉のやりとりの裡に、語る人々、語られる人の風貌が躍如としていて、まことに面白い。全く白鳥という人は、世間並より或はずっとよく、そして巧に享楽もしつつ、退屈げな顔つきを日常の間にも作品の中にも漂わす作家なのであろう。向うのことは何・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
出典:青空文庫