・・・夏草の上に置ける朝露よりも哀れ果敢なき一生を送った我子の身の上を思えば、いかにも断腸の思いがする。しかし翻って考えて見ると、子の死を悲む余も遠からず同じ運命に服従せねばならぬ、悲むものも悲まれるものも同じ青山の土塊と化して、ただ松風虫鳴のあ・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・自由にならない身の上だし、自由に行かれない身の上だし、心ばかりは平田さんの傍を放れない。一しょにいるつもりだ。一しょに行くつもりだ。一しょに行ッてるんだ。どんなことがあッても平田さんの傍は放れない。平田さんと別れて、どうしてこうしていられる・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・この交際はいずれも皆人民の身の上に引受け、人々その責に任ずべきものにして、政府はあたかも人民の交際に調印して請人に立ちたる者の如し。 ゆえに、貿易に不正あれば、商人の恥辱なり、これによりて利を失えば、その愚なり。学芸の上達せざるは、学者・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・そう云う身の上は余り幸福ではございませんわね。それでもわたくしは主人が渡世上手で、家業に勉強して、わたくし一人を守っていてくれるのをせめてもの慰めにいたしていました。 しかしそれはわたくしがひどく騙されていたのでございます。ある偶然の出・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・こちらも話したい事は山々あるが最う話しする事の出来ない身の上となってしまった。よし話が出来たところが今更いってもみんな愚痴に堕ちてしまう。いわばいうだけ涙の種だから何んにもいわぬ。ただここからお詫びをするまでだ。みイちャんの一生を誤ったのは・・・ 正岡子規 「墓」
・・・どうじゃ、今朝も今朝とて穂吉どの処を替えてこの身の上じゃ、」 説教の坊さんの声が、俄におろおろして変りました。穂吉のお母さんの梟はまるで帛を裂くように泣き出し、一座の女の梟は、たちまちそれに従いて泣きました。 それから男の梟も泣きま・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・ 芳子さんは、政子さんが、自分よりは可哀そうな身の上であるのをよく知っていましたから、いつも同情して政子さんの為に成るように、政子さんが幸福に楽しく暮せるようにとばかり、気をつけていたのです。 こうして両人ともほんとうの子供だった時・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・今の身の上で、ランプの下で著作をするように、朝から晩まで著作をすることになったとして見る。この男は著作をするときも、子供が好きな遊びをするような心持になっている。それは苦しい処がないという意味ではない。どんな sport をしたって、障礙を・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・そこで妙だと存じますのは、男の方が何かをお当てになると云うことは、御自分のお身の上に関係した事に限るようだからでございますの。男。はてな。それではそのお話がわたくしの身の上に関係した事なのですか。貴夫人 大いに関係していますの。・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・ 話の間だがちょッとここで忍藻の性質や身の上がやや詳細に述べられなくてはならない。実に忍藻はこの老女の実子で、父親は秩父民部とて前回武蔵野を旅行していた旅人の中の年を取った方だ。そして旅人の若い方はすなわち世良田三郎で、母親の話でも大抵・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫