・・・実際あの妻の肖像画も万一そうなった暁に、妻の身代りとして僕の書斎に残して置く心算だったのだ。』三浦はこう云いながら、また眼を向う河岸の空へ送りました。が、空はまるで黒幕でも垂らしたように、椎の樹松浦の屋敷の上へ陰々と蔽いかかったまま、月の出・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・私が夫の身代りになると云う事は、果して夫を愛しているからだろうか。いや、いや、私はそう云う都合の好い口実の後で、あの人に体を任かした私の罪の償いをしようと云う気を持っていた。自害をする勇気のない私は。少しでも世間の眼に私自身を善く見せたい、・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・そうしてこいつが俺の身代わりになってこの棺の中にはいるんだ。とも子 ははあ……少しわかってきてよ。花田 わかったかい。天才画家の花田は死んでしまうんだ。ほんとうにもうこの世の中にはいなくなってしまうんだ。その代わり花田の弟というの・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ 寝床から自動車を呼んで、山代へ引返して、病院へ移ったという……お光の病室の床に、胸をしめて立った時、「旦那さん、――お光さんが貴方の、お身代り。……私はおくれました。」 と言って、小春がおもはゆげに泣いて縋った。「お光さん・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ ピシアスは、「しかしそれには、私がかえるまで、身代りになってくれるものがいるのです。私の友だちの一人がちゃんと引き受けてくれるのですが。」と言葉をついで言いました。「ははは、それはお前がからかわれたのだよ。そんなことで、むざむ・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・そうして下さい。」 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・これが、いわば安全弁のような役目をして気持ちよく折れてくれるので、その身代わりのおかげで肋骨その他のもっとだいじなものが救われるという話である。 地震の時にこわれないためにいわゆる耐震家屋というものが学者の研究の結果として設計されている・・・ 寺田寅彦 「鎖骨」
・・・そんなものの身代りに僕が豆腐屋主義に屈従するなたまらない。どうも驚ろいた。以来君と旅行するのは御免だ」「なあに構わんさ」「君は構わなくってもこっちは大いに構うんだよ。その上旅費は奇麗に折半されるんだから、愚の極だ」「しかし僕の御・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・「わしは山ねこさまのお身代りじゃで、わしの云うとおりさっしゃれ。なまねこ。なまねこ。」「どうしたらようございましょう。」と狼があわててききました。狸が云いました。「それはな。じっとしていさしゃれ。な。わしはお前のきばをぬくじゃ。・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・ その古い狐は、もう身代りに疫病よけの「源の大将」などを置いて、どこかへ逃げているのです。 みんなは口々に言いました。「やっぱり古い狐だな。まるで眼玉は火のようだったぞ」「おまけに毛といったら銀の針だ」「全く争われないも・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
出典:青空文庫