・・・ 騎兵は身軽に馬を下りた。そうして支那人の後にまわると、腰の日本刀を抜き放した。その時また村の方から、勇しい馬蹄の響と共に、三人の将校が近づいて来た。騎兵はそれに頓着せず、まっ向に刀を振り上げた。が、まだその刀を下さない内に、三人の将校・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押す事さえ出来たらと思うのである。 或夕方、――それは・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・すると仲間の水兵が一人身軽に舷梯を登りながら、ちょうど彼とすれ違う拍子に常談のように彼に声をかけた。「おい、輸入か?」「うん、輸入だ。」 彼等の問答はA中尉の耳にはいらずにはいなかった。彼はSを呼び戻し、甲板の上に立たせたまま、・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・ その時打向うた卓子の上へ、女の童は、密と件の将棋盤を据えて、そのまま、陽炎の縺るるよりも、身軽に前後して樹の蔭にかくれたが、枝折戸を開いた侍女は、二人とも立花の背後に、しとやかに手を膝に垂れて差控えた。 立花は言葉をかけようと思っ・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ と軽い返事で、身軽にちょこちょこと茶の間から出た婦は、下膨れの色白で、真中から鬢を分けた濃い毛の束ね髪、些と煤びたが、人形だちの古風な顔。満更の容色ではないが、紺の筒袖の上被衣を、浅葱の紐で胸高にちょっと留めた甲斐甲斐しい女房ぶり。些・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・きっとそうに違いない。身軽に雪の上へ乗って飛べるように。」 ……でなくっては、と呼吸も吐けない中で思いました。 九歳十歳ばかりのその小児は、雪下駄、竹草履、それは雪の凍てた時、こんな晩には、柄にもない高足駄さえ穿いていたのに、転びも・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ 何と、足許の草へ鎌首が出たように、立すくみになったのは、薩摩絣の単衣、藍鼠無地の絽の羽織で、身軽に出立った、都会かららしい、旅の客。――近頃は、東京でも地方でも、まだ時季が早いのに、慌てもののせいか、それとも値段が安いためか、道中の晴・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・苔に惑い、露に辷って、樹島がやや慌しかったのは、余り身軽に和尚どのが、すぐに先へ立って出られたので、十八九年不沙汰した、塔婆の中の草径を、志す石碑に迷ったからであった。 紫袱紗の輪鉦を片手に、「誰方の墓であらっしゃるかの。」 少・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 蕎麦二膳、蕎麦二膳と、境が覚悟の目の前へ、身軽にひょいと出て、慇懃に会釈をされたのは、焼麸だと思うの加料が蒲鉾だったような気がした。「お客様だよ――鶴の三番。」 女中も、服装は木綿だが、前垂がけのさっぱりした、年紀の少い色白な・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ つばめのように、ひらと身軽に雨の街路に躍り出て、「それじゃ、あとでまた。」少し走って、また振りかえり、「すぐに幸吉さんに知らせてあげますから、ね。」 ひとり豆腐屋の軒下に、置き残され、私は夢みるようであった。白日夢。そんな気が・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
出典:青空文庫