・・・おくれた日本の映画製作の諸条件は、これからやっと正常な軌道にのせられるはずであるのに、東宝を先頭とする経営者たちは日本文化の課題としての映画製作事業の本質を全然理解しない。軍需会社で儲けたとおりの利率で儲けようとこころみている。この欲望は、・・・ 宮本百合子 「今日の日本の文化問題」
・・・女学校の今日の教育は、女が平凡な肉体と平凡な日常生活の軌道をもって過してゆくためには最少限の役に立っているであろうが、一旦現実が紛糾して、例えば一人の女の体に新聞記事に仄めかされているような生理的欠陥が現れたような場合、その不幸に対して先ず・・・ 宮本百合子 「昨今の話題を」
・・・今でも腐った軌道や枕木が、灌木や羊歯の茂った阪道に淋しく転って居ります。頂上には、其等の廃跡の外に、一軒不思議な建物があるそうでございます。真四角な石造で、窓が高く小さく只一つの片目のようについて居る、気味が悪いと見た人が申しました。何でご・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 八月三十日不図 軌道を脱れた 星一つ 宏い 秋の空間を横切って 墜ちた。何処へ行くのか――自然は息をひそめその青白き発光体の尾を凝視る。何処へ落ちようと云うのか――・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
・・・最後の一人をのせ、最後の一台が出発し切ると、魔法で、花崗岩の敷石も、長い長い鉄の軌道もぐーいと持ち上ってぺらぺらと巻き納められてでもしまいそうだ。子供の時分外でどんなに夢中で遊んでいても、薄闇が這い出す頃になると、泣きたい程家が、家の暖かさ・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・「きまりきった」「一人の文学者としてではなく、いわば組合の指導者でも云いそうな正論」「軌道的な文学論」に轢殺されていると、平野氏は語っているのである。わたしが党員である作家として例外の特権をたのしんでいて、作品をかくために役員をやめたり会合・・・ 宮本百合子 「孫悟空の雲」
・・・ 停車場前の広場から大通りに出ると、電車の軌道が幌から見える。香港、上海航路廻漕業の招牌が見える。橋を渡る。その間に、電車が一台すれ違って通った。人通りの稀な街路の、右手は波止場の海水がたぷたぷよせている低い石垣、左側には、鉄柵と植込み・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ 母と私との生活が別々な軌道を持つようになってからは、母の文学的興味も一時下火となった。そのかわりに日本画の稽古がはじめられた。 その時分になれば、家の経済状態も少しはましになって来ていたのであったろう。私がたまに遊びに行くと、母は・・・ 宮本百合子 「母」
・・・こは車のゆきき漸く繁くなりていたみたるならん。軌道の二重になりたる処にて、向いよりの車を待合わすこと二度。この間長きときは三十分もあらん。あたりの茶店より茶菓子などもて来れど、飲食わむとする人なし。下りになりてより霧深く、背後より吹く風寒く・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・この車の軌道を横たわるに会えば、電車の車掌といえども、車をとめて、忍んでその過ぐるを待たざることを得ない。 そしてこの車は一の空車に過ぎぬのである。 わたくしはこの空車の行くにあうごとに、目迎えてこれを送ることを禁じ得ない。わたくし・・・ 森鴎外 「空車」
出典:青空文庫