・・・そして近代国家としての日本は、軽工業の労働の裡に青春を消耗しつくす貧困、無智な婦人の労力を土台にして、第一次欧州大戦迄膨張をつづけて来たのであった。 第一次大戦終了の後、漸々新婦人協会が治安警察法第五条の改正を議会に請願し、世界の社会情・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
・・・農村の活溌な社会主義的発達はとりもなおさず都会の重軽工業を敏活に運転させる調帯だ。都会から農村へ、農村から都会へ。――СССРの地図は、搾取すべき殖民地をこの地球のどの隅にも持っていないという点だけで一九一七年以来既に一つの輝きであった。今・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ 日本では明治維新以来次第に銀行資本と産業資本の結合した独占資本の形は発達したが、生産の格式はおくれた半封建の中小企業を基礎とし、軽工業を基礎とし、植民地賃銀といわれる低賃銀で男女の勤労者を働かして来た。土地の関係も徳川時代と変りない地・・・ 宮本百合子 「三つの民主主義」
・・・ 軽工業の生産品を、今年の冬は一つの工場、その他の勤め先に半年以上勤めた者に、特別のを渡して配給することにしている。例えば外套、防寒靴、布地等をそういう組織で配給している。 今ソヴェトは重工業に力を入れているから軽工業の生産品はまわ・・・ 宮本百合子 「露西亜の実生活」
・・・それとともに、工業はおくれていて、資本主義国家となるためには、辛うじて、繊維軽工業にたよるしかなかった。天然資源にも乏しい。明治政府の本質というものは封建的な地主と軽工業に基礎を置いた非常に薄弱な資本家とによって組立てられていたものであって・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫