・・・洋服をきらいなのではなく、いや、きらいどころか、さぞ便利で軽快なものだろうと、いつもあこがれてさえいるのであるが、私には一着も無いから着ないのである。洋服は、故郷の母も送って寄こさない。また私は、五尺六寸五分であるから、出来合いの洋服では、・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・朝食の時、胃腑を軽快になさんがため、特にパンと牛乳だけですませて置いた事も、これでは、なんにもならない。この次女は、もともと、よほどの大食いなのである。上品ぶってパンと牛乳で軽くすませてはみたが、それでは足りない。とても、足りるものではない・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・やっぱり西洋の踊りのように軽快で陽気で、日本の糸車のような俳諧はどこにもない。また、シューベルトの歌曲「糸車のグレーチヘン」は六拍子であって、その伴奏のあの特徴ある六連音の波のうねりが糸車の回転を象徴しているようである。これだけから見ても西・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・あくどい蒼蠅さがわりに少なくて軽快な俳諧といったようなものが塩梅されているようである。例えばドライヴの途上に出て来るハイカラな杣や杭打ちの夫婦のスケッチなどがそれである。「野羊の居る風景」などもそれである。ただ残念に思うのは、外国の多くの実・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・そうするとその運動は非常に軽快に見え、そうして今にもわれわれに食ってかかりそうな無気味さを感じる。しかし顕微鏡下の微粒子をのぞいているつもりで見ていると感じはまるでちがったものになる。すべてが細かい蠢動になってしまうのである。薄暮の縁側の端・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・軽く興奮してほてる顔をさらに強い西日が照りつけて、ちょうど酒にでも微酔したような心持ちで、そしてからだが珍しく軽快で腹がいいぐあいにへっていた。 停車場まで来ると汽車はいま出たばかりで、次の田端止まりまでは一時間も待たなければならなかっ・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・売り子は美しい若い女で軽快な仏語をさえずっていた。 十 ミラノからベルリン五月五日 七時二十分発ベルリン行きの D-Zug に乗る。うっかりバーゼル止まりの客車へ乗り込んでいたが、車掌に注意されてあわててベル・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 津田君の絵には、どのような軽快な種類のものでも一種の重々しいところがある。戯れに描いた漫画風のものにまでもそういう気分が現われている。その重々しさは四条派の絵などには到底見られないところで、却って無名の古い画家の縁起絵巻物などに瞥見す・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・家は軽快なる二階づくりで其の門墻も亦極めていかめしからざるところ、われわれの目には富商の隠宅か或は旗亭かとも思われた位で、今日の紳士が好んで築造する邸宅とは全く趣を異にしたものであった。 茅町の岸は本郷向ヶ岡の丘阜を背にし東に面して不忍・・・ 永井荷風 「上野」
・・・しかしその軽快鮮明なる事は俗曲と称する日本近代の音楽中この長唄に越すものはあるまい。 端唄が現す恋の苦労や浮世のあじきなさも、または浄瑠璃が歌う義理人情のわずらわしさをもまだ経験しない幸福な富裕な町家の娘、我儘で勝気でしかも優しい町家の・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫