・・・と題して、連日の『時事新報』社説に登録したるが、大いに学者ならびに政治家の注意を惹き来りて、目下正に世論実際の一問題となれり。よって今、論者諸賢のため全篇通読の便利を計り、これを重刊して一冊子となすという。 明治一六年二月編者識と・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・真成の経世論を知らざるがためなり。詭激の経世論、もとより厭うべしといえども、その論者はこれを知るがゆえに論ずるに非ず、知らざるがゆえにこれを論ずるのみ。 ゆえに我が慶応義塾においては、上等の生徒に哲学・法学あるいは政治・経済の書を禁ぜざ・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・一 女子の結婚、就中その他家に嫁したる結婚の後、その家の舅姑に事うるの法如何は古来世論の喋々する所にして、又実際に於ても女同士なる姑と嫁との間に衝突の起るは珍らしからず。仮令い或は表面に衝突せざるも、内心相互に含む所ありて打解けざるは、・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・人の智徳は教育によりておおいに発達すといえども、ただその発達を助くるのみにして、その智徳の根本を資るところは、祖先遺伝の能力と、その生育の家風と、その社会の公議輿論とにあり。蝦夷人の子を養うて何ほどに教育するも、その子一代にては、とても第一・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・西洋文明国の男女は果たして潔清なりやというに、決して然らず、極端について見れば不潔の甚だしきもの多しといえども、その不潔を不潔としてこれを悪み賤しむの情は日本人よりも甚だしくして、輿論の厳重なることはとても日本国の比にあらず。故に、かの国々・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・従って世間の輿論は沸騰するという時代があった。すると、私がずっと子供の時分からもっていた思想の傾向――維新の志士肌ともいうべき傾向が、頭を擡げ出して来て、即ち、慷慨憂国というような輿論と、私のそんな思想とがぶつかり合って、其の結果、将来日本・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・上陸せんまでも、泊って居るよりは動いて居る方が善いというのは船中の輿論である。船は日の暮に出帆した。非常にのろい速力でゆっくりと行たので翌日の午後に漸く和田の岬へ著いた。上陸が出来るか出来んかと皆固唾を呑んで待って居たがこの日は上陸が出来ず・・・ 正岡子規 「病」
・・・ 一、民主的な社会で、大切なのは多数の人々の意見であり、多数の人々が自分の意見を出し合って、その結論を互に出発したところよりは高く豊富で合理的なところに育ててゆくのが大事な特長です。 一、輿論というと、むずかしく思えるけれども、誰で・・・ 宮本百合子 「朝の話」
・・・ 明治の開化期、日本にはじめて新聞が発刊された時分、それはどんなに新鮮な空気をあたりに息吹かせながら、封建と開化とが奇妙にいりまじって錯雑した当時の輿論を指導したことだったろう。論説を書いた人々は社会の木鐸であるというその時分愛好された・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・あれほど共和党デューイ当選確実とおもいこまれた一つの原因は、アメリカの世論調査所がどこの調査もデューイ優勢を告げたからだった。半官的なギャラップ博士の米国世論調査所の示したこのたびの失敗は、世界の世論調査法に大きい教訓となった。ギャラップの・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
出典:青空文庫