・・・たとい皮肉は爛れるにしても、はらいそ(天国の門へはいるのは、もう一息の辛抱である。いや、天主の大恩を思えば、この暗い土の牢さえ、そのまま「はらいそ」の荘厳と変りはない。のみならず尊い天使や聖徒は、夢ともうつつともつかない中に、しばしば彼等を・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・「辛抱しろよ。己だって、腹がへるのや、寒いのを辛抱しているのだからな。どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。それも、鼠よりは、いくら人間の方が、苦しいか知れないぞ………」 中 雪曇りの空が、・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・「まあ辛抱してやるがいい。ここの親方は函館の金持ちで物の解った人だかんな」 そういって小屋を出て行った。仁右衛門も戸外に出て帳場の元気そうな後姿を見送った。川森は財布から五十銭銀貨を出してそれを妻の手に渡した。何しろ帳場につけとどけ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・「後で私を殺しても可いから、もうちと辛抱なさいよ。」「お稲さん。」「ええ。」となつかしい低声である。「僕は大空腹。」「どこかで食べて来た筈じゃないの。」「どうして貴方に逢うまで、お飯が咽喉へ入るもんですか。」「ま・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・おらが、いろッて泣かしちゃ、仕事の邪魔するだから、先刻から辛抱してただ。」と、かごとがましく身を曲る。「お逢いなさいまし、ほほほ、ねえ、お浜、」 と女房は暗い納戸で、母衣蚊帳の前で身動ぎした。「おっと、」 奴は縁に飛びついた・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・と、おやじは今まで辛抱していた膝ッこを延ばして、ころりと横になり、「ああ、もう、こういうところで、こうして、お花でも引いていたら申し分はないが――」「お父さんはじきあれだから困るんです。お花だけでも、先生、私の心配は絶えないんですよ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
一 二葉亭が存命だったら 二葉亭が存命だったら今頃ドウしているだろう? という問題が或る時二葉亭を知る同士が寄合った席上の話題となった。二葉亭はとても革命が勃発した頃まで露都に辛抱していなかったろうと思うが、仮に当時に居合わした・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・「それほどまでに、下界へいってみたいなら、やってあげないこともないが、しかし、一度いったなら、三年は、辛抱してこの天国へ帰ってきてはなりません。もし、その決心がついたなら、やってあげましょう……。」と、お母さまはいわれました。 美し・・・ 小川未明 「海からきた使い」
・・・そんなわけだからね、この五十銭で二三日のところを君がここで辛抱してりゃ、私が向地から旅用の足しぐらいは間違いなく送ってあげらあ、ね。そのつもりで、私がいなくなったってすぐよそへ行かねえで、――いいかね。」 ほかの者の辞なら知らず、私はけ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ちっとの間の辛抱だ。行って来い。行って梨の実を盗んで来い。」 すると、子供が泣きながら、こう言いました。「お爺さん。御免よ。若し綱が切れて高い所から落っこちると、あたい死んじまうよ。よう。後生だから勘弁してお呉れよ。」 いくら子・・・ 小山内薫 「梨の実」
出典:青空文庫