・・・が、御辞退申しましては反って御意に逆う道理でございますから、御免を蒙って、一通り多曖もない昔話を申し上げると致しましょう。どうか御退屈でもしばらくの間、御耳を御借し下さいまし。「私どものまだ年若な時分、奈良に蔵人得業恵印と申しまして、途・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・フォルテブラッチョ家との婚約を父が承諾した時でも、クララは一応辞退しただけで、跡は成行きにまかせていた。彼女の心はそんな事には止ってはいなかった。唯心を籠めて浄い心身を基督に献じる機ばかりを窺っていたのだ。その中に十六歳の秋が来て、フランシ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・沢本 ガランスがなけりゃ、俺だって食えそうなものを辞退するわけじゃないぞ。ドモ又いいかげんをいうな。これは俺んだ。瀬古 そうがつがつするなよ。待て待て。今僕が公平な分配をしてやるから。これで公平だろう。沢本 四つに分けてど・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・で、辞退も会釈もさせず、紋着の法然頭は、もう屋形船の方へ腰を据えた。 若衆に取寄せさせた、調度を控えて、島の柳に纜った頃は、そうでもない、汀の人立を遮るためと、用意の紫の幕を垂れた。「神慮の鯉魚、等閑にはいたしますまい。略儀ながら不束な・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・三島で下りると言うと、居士が一所に参って、三島の水案内をしようと言います。辞退をしましたが、いや、是非ひとつ、で、私は恐縮をしたんですがね。実は余り恐縮をしなくても可さそうでしたよ。御隠居様、御機嫌よう、と乗合わせた近まわりの人らしいのが、・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 小宮山は慇懃に辞退をいたしまする。 十七「これを知っていなさるかえ。」 と二の腕を曲げて、件の釘を乳の辺へ齎して、掌を拡げて据えた。「どう致しまして。」「知らない?」「いえ、何、存じておりま・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・お松は頻りに辞退したのを、母は無理にお松にやって、自分をおぶった。お松はそれでも暫くそこに立っていたようであった。 それきり妙に行違って、自分はお松に逢わなかった。それでも色のさえない元気のない面長なお松の顔は深く自分の頭に刻まれた。・・・ 伊藤左千夫 「守の家」
・・・帰って雇人に呉れてやり、お前行けと言うと、われわれの行くところでないと辞退したので、折角七円も出したものを近所の子供の玩具にするのはもったいない、赤玉のクリスマスいうてもまさか逆立ちで歩けと言わんやろ、なに構うもんかと、当日髭をあたり大島の・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ 主客の間にこんな挨拶が交されたが、客は大きな茶碗の番茶をいかにもゆっくりと飲乾す、その間主人の方を見ていたが、茶碗を下へ置くと、「君は今日最初辞退をしたネ。」と軽く話し出した。「エエ。」と主人は答えた。「なぜネ。」・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・すると磯九郎は自分が大手柄でも仕たように威張り散らして、頭を振り立てて種々の事を饒舌り、終に酒に酔って管を巻き大気焔を吐き、挙句には小文吾が辞退して取らぬ謝礼の十貫文を独り合点で受け取って、いささか膂力のあるのを自慢に酔に乗じてその重いのを・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
出典:青空文庫