・・・百姓はこの辺りをうろつく馬鹿者にイリュウシャというものがいるのをつかまえて、からかって居る。「一銭おくれ」と馬鹿は大儀そうな声でいった。「ふうむ薪でも割ってくれれば好いけれど、手前にはそれも出来まい」と憎げに百姓はいった。馬鹿は卑しい、・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・この心掛けをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、われわれの生涯は決して五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水の辺りに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じてゆくものであると思います。けっして竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・この辺りでは、十銭のなんか、なかなか売れっこはないから。」といいました。「十銭のばかりなんですがね。そんなら、三つ四つ置いてゆきましょうか。」と、車を引いてきた若い男はいいました。「そんなら、三つばかり置いていってください。」と・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・馬はついに林や、野や、おかを越えて、海の辺りに出てしまいました。日はようやく暮れかかって、海のかなたは紅く、夕焼けがしていました。馬はじっとその方を見て、かなたの国にあこがれながらも、どうすることもできませんでした。「やってみろ! おま・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・ 町の人々は二人を見送って、「まだあの乞食がこの辺りをうろついている。早くどこへなりとゆきそうなものだ。犬にでもかまれればいいのだ。」と、涙のない残忍なことをいったものもあります。 そして爺と子供は、犬に追い駆けられてひどい・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・ その時分は大昔のことで、まだこの辺りにはあまり住んでいるものもなく、路も開けていなかったのでありました。家来は幾年となくその国じゅうを探して歩きました。そして、ついにこの国にきて、金峰仙という山のあることを聞いて、艱難を冒して、その山・・・ 小川未明 「不死の薬」
・・・その後追いおいに気づいていったことなのであるが、この美しい水音を聴いていると、その辺りの風景のなかに変な錯誤が感じられて来るのであった。香もなく花も貧しいのぎ蘭がそのところどころに生えているばかりで、杉の根方はどこも暗く湿っぽかった。そして・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・ 時どき烟を吐く煙突があって、田野はその辺りから展けていた。レンブラントの素描めいた風景が散らばっている。 黝い木立。百姓家。街道。そして青田のなかに褪赭の煉瓦の煙突。 小さい軽便が海の方からやって来る。 海からあがって来た・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・自分はその辺りに転っている鉋屑を見、そして自分があまり注意もせずに煙草の吸殻を捨てるのに気がつき、危いぞと思った。そんなことが頭に残っていたからであろう、近くに二度ほど火事があった、そのたびに漠とした、捕縛されそうな不安に襲われた。「この辺・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・またその辺りの地勢や人家の工合では、その近くに電車の終点があろうなどとはちょっと思えなくもあった。どこかほんとうの田舎じみた道の感じであった。 ――自分は変なところを歩いているようだ。どこか他国を歩いている感じだ。――街を歩いていて不図・・・ 梶井基次郎 「路上」
出典:青空文庫