・・・板を斜めにして、添乳の衣紋も繕わず、姉さんかぶりを軽くして、襷がけの二の腕あたり、日ざしに惜気なけれども、都育ちの白やかに、紅絹の切をぴたぴたと、指を反らした手の捌き、波の音のしらべに連れて、琴の糸を辿るよう、世帯染みたがなお優しい。 ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・手を取って助けるのに、縋って這うばかりにして、辛うじて頂上へ辿ることが出来た。立処に、無熱池の水は、白き蓮華となって、水盤にふき溢れた。 ――ああ、一口、水がほしい―― 実際、信也氏は、身延山の石段で倒れたと同じ気がした、と云うので・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・祖母に導かれて、振袖が、詰袖が、褄を取ったの、裳を引いたの、鼈甲の櫛の照々する、銀の簪の揺々するのが、真白な脛も露わに、友染の花の幻めいて、雨具もなしに、びしゃびしゃと、跣足で田舎の、山近な町の暗夜を辿る風情が、雨戸の破目を朦朧として透いて・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 翼をいためた燕の、ひとり地ずれに辿るのを、あわれがって、去りあえず見送っていたのであろう。 たださえ行悩むのに、秋暑しという言葉は、残暑の酷しさより身にこたえる。また汗の目に、野山の赤いまで暑かった。洪水には荒れても、稲葉の色、青・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・ わずかに畳の縁ばかりの、日影を選んで辿るのも、人は目をみはって、鯨に乗って人魚が通ると見たであろう。……素足の白いのが、すらすらと黒繻子の上を辷れば、溝の流も清水の音信。 で、真先に志したのは、城の櫓と境を接した、三つ二つ、全国に・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ どこにも座敷がない、あっても泊客のないことを知った長廊下の、底冷のする板敷を、影のさまようように、我ながら朦朧として辿ると……「ああ、この音だった。」 汀の蘆に波の寄ると思ったのが、近々と聞える処に、洗面所のあったのを心着いた・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 何か、自分は世の中の一切のものに、現在、恁く、悄然、夜露で重ッくるしい、白地の浴衣の、しおたれた、細い姿で、首を垂れて、唯一人、由井ヶ浜へ通ずる砂道を辿ることを、見られてはならぬ、知られてはならぬ、気取られてはならぬというような思であ・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ 十 露店の目は、言合わせたように、きょときょとと夢に辿る、この桃の下路を行くような行列に集まった。 婦もちょいと振向いて、(大道商人は、いずれも、電車を背後蓬莱を額に飾った、その石のような姿を見たが、衝と向・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・これから流れ、鳥居は、これから見え、町もこれから賑かだけれど、俄めくらと見えて、突立った足を、こぶらに力を入れて、あげたり、すぼめたりするように、片手を差出して、手探りで、巾着ほどな小児に杖を曳かれて辿る状。いま生命びろいをした女でないと、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・しかし、若し、世界が現状のまゝの行程を辿るかぎり、いかに巧言令辞の軍縮会議が幾たび催されたればとて、急転直下の運命から免れべくもない。こう思って、何も知らずに、無心に遊びつゝある子供等の顔を見る時、覚えず慄然たらざるを得ないのであります。・・・ 小川未明 「男の子を見るたびに「戦争」について考えます」
出典:青空文庫