・・・しかも、そういう迂遠な道を厭わぬ人たちによって、染色という技術の水準は守られ高められてゆくのである。 現在既にそうなって来ているのだが、これからは益々、日常生活の中にある美を守勢で擁護して行こうとしても消極に陥るばかりだと思う。生活の中・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・現実の辛酸が我々を打ちのめしもするが又賢くもする通り、歴史の緊迫した瞬間、文学は一見迂遠に見えるが実は、ある時間が経つと最も豊富な形でその諸経験を広くは人類的な意味で各民族の文化の宝庫の中へたくわえるものである。 今日、そして明日の新し・・・ 宮本百合子 「文学の流れ」
・・・ 人類の歴史の発展において、迂遠なる大道である芸術の路上で、宙がえりやとんぼがえりをいくらしたとて、自他ともに益することは皆無である。少くとも数種の著作をもつ日本の作家や評論家が、不分明な日本語を操っていたうちはともかくそれぞれの立場か・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・哲学者などといえばとかく人生のことに迂遠な、小難かしい理屈ばかり言っている人のように思われるが、先生は決してそんな干からびた学者ではない。それは先生が藤岡東圃の子供をなくしたのに同情して、自分が子供をなくした経験を書いていられる文章を見ても・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫