・・・「もし、またこの近傍をお通りのときは、ぜひここへきて休んでください。そして、おもしろい話をきかしてください。」「きっと、まいりますよ。」 そういって、渡り鳥は去ったのでした。こういうようなことが、これまでに何度あったでしょう。二・・・ 小川未明 「曠野」
・・・そして、この近傍を通る船の黒い煙すら見えませんでした。ただ岩の上に咲いた、らんの白い花が、かすかに香って、穏やかな、暖かな風にほろほろと散って落ちるばかりでありました。 こうして、一日はたち、やがて十年、二十年とたちます。百年、二百年と・・・ 小川未明 「ものぐさじじいの来世」
・・・たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神あたりの町、新宿、白金…… また武蔵野の味を知るにはその野から富士山、秩父山脈国府台等を眺めた考えのみでなく、またその中央に包まれてい・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・奥に松山を控えているだけこの港の繁盛は格別で、分けても朝は魚市が立つので魚市場の近傍の雑踏は非常なものであった。大空は名残なく晴れて朝日麗かに輝き、光る物には反射を与え、色あるものには光を添えて雑踏の光景をさらに殷々しくしていた。叫ぶもの呼・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・で、糸目の着加減を両かしぎというのにして、右へでも左へでも何方へでも遣りたいと思う方へ紙鳶が傾くように仕た上、近傍に紙鳶が揚って居ると其奴に引からめて敵の紙鳶を分捕って仕舞うので、左様甘く往くことばかりは無かったが、実に愉快で堪えられないほ・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ 高知近傍には寒竹の垣根が多い。隙間なく密生しても活力を失わないという特徴があるために垣根の適当な素材として選ばれたのであろう。あれは何月頃であろうか。とにかくうすら寒い時候に可愛らしい筍をにょきにょきと簇生させる。引抜くと、きゅうっき・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・これには前述の二十三プロセントニッケル鋼を羅針盤の近傍必要の箇所に使ったらよいというので、目下ブレメンで新造中の船にはこれを採用するはずになっている。 八十八 科学者の不遇 科学者が・・・ 寺田寅彦 「話の種」
・・・ 近傍一帯が急にさびれて見えた。隣の東京朝日新聞社の建物がなんだかさびしそうな顔をして立っているように思われるのであった。 建物にもやっぱり顔があるのである。 十四 マルキシズムの立場から科学を論じ、科学・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・ハントの家はカーライルの直近傍で、現にカーライルがこの家に引き移った晩尋ねて来たという事がカーライルの記録に書いてある。またハントがカーライルの細君にシェレーの塑像を贈ったという事も知れている。このほかにエリオットのおった家とロセッチの住ん・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・松や杉は落付いているのに恐ろしい灰色雲の下で竹がざわめくこと――このような天候の時、一人ぼっちでこの近傍によくある深い細道ばかりの竹藪を通ったら、どんなに神経が動乱するだろう。ドーッと風が吹きつける。高さ三十尺もある孟宗竹の藪が一時に靡く。・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
出典:青空文庫