・・・ 医学士は取るとそのまま、靴音軽く歩を移してつと手術台に近接せり。 看護婦はおどおどしながら、「先生、このままでいいんですか」「ああ、いいだろう」「じゃあ、お押え申しましょう」 医学士はちょっと手を挙げて、軽く押し留・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・従令文学などの嗜みなしとするも、茶の湯の如きは深くも浅くも楽むことが出来るのである、最も生活と近接して居って最も家族的であって、然も清閑高雅、所有方面の精神的修養に資せられるべきは言うを待たない、西洋などから頻りと新らしき家庭遊技などを・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ 沼南にはその後段々近接し、沼南門下のものからも度々噂を聞いて、Yに対する沼南の情誼に感奮した最初の推服を次第に減じたが、沼南の百の欠点を知っても自分の顔へ泥を塗った門生の罪過を憎む代りに憐んで生涯面倒を見てやった沼南の美徳に対する感嘆・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・我が身、金玉なるがゆえに、いやしくも瑕瑾を生ずべからず、汚穢に近接すべからず。この金玉の身をもって、この醜行は犯すべからず。この卑屈には沈むべからず。花柳の美、愛すべし、糟糠の老大、厭うに堪えたりといえども、糟糠の妻を堂より下すは、我が金玉・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・アナーキスト出身で著名な婦人作家で、その才能の素質と妻としておかれている偽瞞的な環境のためにアナーキズムから社会観を本質的に高められることができず、労働者弾圧にも動員される右翼の暴力団の生活に近接する機会をもつようになって、その描きてとして・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十五巻)」
・・・従って、戦場の光景はそのものの即物的な現実性で読者の感銘に迫って来るし、一方作者によって絶えず意識され表明されている人間自然の情感というものはその描かれている世界への近接を感じさせる十分の効果をもっていた。この二つの要素が作者火野によって常・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・世界生産の諸部門において、ソヴェト同盟はアメリカに近接しつつあるし、ある部分ではそれを凌駕しつつある。勤労人民の生活条件の安定は、最もソヴェト同盟がまさっているだろう。社会主義的民主主義は社会生産の形態を、利潤の要求から直接生産者への享受に・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・の主人公の家出、破婚、流浪の本質を描いているのだけれども、フランス文学にごく近接しているようなその作風が、やはり文学の肉体として敏い感覚性や批判の心をくるんでいるのは独特なアメリカの肉の厚ぼったさ、大きさ、ひろさの響である。 このところ・・・ 宮本百合子 「文学の大陸的性格について」
・・・私たちは蓮の花の近接した個々の姿から、大量の集団的な姿や、遠景としての姿をまで、一挙にして与えられたのである。しかも蓮の花以外の形象をことごとく取り除いて、純粋にただ蓮の花のみの世界として見せられたのである。これは、それまでの経験からだけで・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫