・・・容貌を語ることに依って、その主人公に肉体感を与え、また聞き手に、その近親の誰かの顔を思い出させ、物語全体に、インチメートな、ひとごとでない思いを抱かせることができるものです。僕の考えるところに依れば、その老博士は、身長五尺二寸、体重十三貫弱・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・も、できればもっと多くを送りたかったのであろうが、あによめ自身、そんなにお金がままになるわけでもなし、ぎりぎりの精一ぱいのところにちがいないので、また、よしんば、もっと多額を送れても、そこはたくさんの近親たちの手前もあり、さまざまの苦しい義・・・ 太宰治 「花燭」
・・・真の尊敬というものは、お互いの近親感を消滅させて、遠い距離を置いて淋しく眺め合う事なのでしょうか。私は今は、生れてはじめて孤独です。「出エジプト記」を読むと、モーゼの努力の程が思いやられて、胸が一ぱいになります。神聖な民族でありながらも・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ ふつうの人間は臨終ちかくなると、おのれの両のてのひらをまじまじと眺めたり、近親の瞳をぼんやり見あげているものであるが、この老人は、たいてい眼をつぶっていた。ぎゅっと固くつぶってみたり、ゆるくあけて瞼をぷるぷるそよがせてみたり、おとなし・・・ 太宰治 「逆行」
・・・人は、もし、ほんとうに自身を虚しくして、近親の誰かつまらぬひとりでもよい、そこに暮しの上での責任を負わされ生きなければならぬ宿業に置かれて在るとしたならば、ひとは、みじんも余裕など持てる筈がないではないか。世評に対しては、ゲエテは、やはり善・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ それからの鶴の消息に就いては、鶴の近親の者たちの調査も推測も行きとどかず、どうもはっきりは、わからない。 五日ほど経った早朝、鶴は、突如、京都市左京区の某商会にあらわれ、かつて戦友だったとかいう北川という社員に面会を求め、二人で京・・・ 太宰治 「犯人」
・・・妹はかよわい身一つで病人の看護もせねばならず世話のやける姪をかかえて家内の用もせねばならず、見兼ねるような窮境を郷里に報じてやっても近親の者等は案外冷淡で、手紙ではいろいろ体の好い事を云って来ても誰一人上京して世話をするものはない。もとより・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・それから近村の小作人、出入りの職人まで寄り集まって盛んな祝いであった。近親の婦人が総出で杯盤の世話をし、酌をする。その上、町から芸者を迎えて興を添えさせるのが例なので、この時も二人来ていた。これも祝いのあるうちは泊まっているので、池の向こう・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
・・・その頃彼は休暇の度に近親の年上の誰かに淡い恋をしたが、次の休暇には前の恋人はすっかり忘れて、また別の初恋をするのであった。またある時は若い婦人に扮装して午餐会に現われ、父の隣席に坐って一座を驚かせた。 いよいよ Cambridge に入・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・絵も描き、文章に達し、音楽も愛し、しかも音楽の演奏ぶりなどにはなかなか近親者に忘れがたい好感を与えるユーモアがあふれていたようである。日本の明治以来の興隆期の文化は、夏目漱石でその頂点に達し同時に漱石の芸術には、今日の日本を予想せしめる顕著・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
出典:青空文庫