・・・わが生活の虚偽残酷にあきれてしまった。近隣親族の徒が、この美しい寝顔の前で埋葬を議することを、痛く不快に感じた。自分もつまりはそれに従うのほかないのであってみれば、自分もやはり世間一流の人間に相違ないのだ。自分はこう考えて、浮かぶことのでき・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・『浮雲』時代の日記に、「常に馴れたる近隣の飼犬のこの頃は余を見ても尾を振りもせず跟をも追はず、その傍を打通れば鼻つらをさしのべて臭ひを嗅ぐのみにて余所を向く、この頃はを食する事稀なれば残りを食まする事もしばしばあらざればと心の中に思ひたり、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・変遷を知り進歩に遅れまいと、これつとめるのであるが、そのうちに田舎の自分に直接関係のある生活に心をひかれ、自分自身の生活の中に這入りこんで、麦の収穫の多寡や、村税の負担の軽重に、喜んだり腹を立てたり、近隣の噂話に耳を傾けて笑ったりするように・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・孩児の頃より既に音律を好み、三歳、痘を病んで全く失明するに及び、いよいよ琴に対する盲執を深め、九歳に至りて隣村の瞽女お菊にねだって正式の琴三味線の修練を開始し、十一歳、早くも近隣に師と為すべき者無きに至った。すぐに京都に上り、生田流、松野検・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・英語がまだ初歩なのに仏語をちゃんぽんに教わっては不利益だという理由であったが、実際はその教師となるべき青年が近隣で不良の二字をかぶらせた青年であるがためだということが後にわかって来た。思うにかれは当時の新思想の持ち主であったのである。それか・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・その夜わたくしは、前々から諦めはつけていた事でもあり、随分悠然として自分の家と蔵書の焼け失せるのを見定めてから、なお夜の明け放れるまで近隣の人たちと共に話をしていたくらいで、眉も焦さず焼けど一ツせずに済んだ。言わば余裕頗る綽々としたそういう・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・下女がいなければ、隣家へ饋ればよいという人があるかも知れぬが、下女さえさびしさに堪兼ねて逃去るような家では、近隣とは交際がない。啻にそれのみではない。わたくしは人の趣味と嗜性との如何を問わず濫に物を饋ることを心なきわざだと考えている。・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・例えば家の相続男子に嫁を貰うか、又は娘に相続の養子する場合にも、新旧両夫婦は一家に同居せずして、其一組は近隣なり又は屋敷中の別戸なり、又或は家計の許さゞることあらば同一の家屋中にても一切の世帯を別々にして、詰る所は新旧両夫婦相触るゝの点を少・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・最初の部分は、小石川の動力の響が近隣の小工場から響いて来る二階で。中頃の部分は、鎌倉の明月谷の夏。我々は胡瓜と豆腐ばかり食べて、夜になると仕事を始めた。彼女はそっちの部屋でチェホフを。私はこっちの部屋で自分の小説を。蛾が、深夜に向って開け放・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・そしてこれらの雑誌がともかく刊行されているのは主として東京以西あるいは近隣の地方都市においてであって、東北、北海道地方からこういう種類の雑誌は発行されないらしい。この事実を、東北地方の窮乏を現実の背景として見て、私は一般読者の関心をよびおこ・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
出典:青空文庫