・・・何も穿鑿をするのではないけれど、実は日数の少ないのに、汽車の遊びを貪った旅行で、行途は上野から高崎、妙義山を見つつ、横川、熊の平、浅間を眺め、軽井沢、追分をすぎ、篠の井線に乗り替えて、姨捨田毎を窓から覗いて、泊りはそこで松本が予定であった。・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 左山中道、右桂谷道、と道程標の立った追分へ来ると、――その山中道の方から、脊のひょろひょろとした、頤の尖った、痩せこけた爺さんの、菅の一もんじ笠を真直に首に据えて、腰に風呂敷包をぐらつかせたのが、すあしに破脚絆、草鞋穿で、とぼとぼと竹・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 四、五年前まえの八月のはじめ、信濃追分へ行ったことがあった。 追分は軽井沢、沓掛とともに浅間根腰の三宿といわれ、いまは焼けてしまったが、ここの油屋は昔の宿場の本陣そのままの姿を残し、堀辰雄氏、室生犀星氏、佐藤春夫氏その他多くの作家・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・ 落葉を浮かべて、ゆるやかに流るるこの沼川を、漕ぎ上る舟、知らずいずれの時か心地よき追分の節おもしろくこの舟より響きわたりて霜夜の前ぶれをか為しつる。あらず、あらず、ただ見るいつもいつも、物いわぬ、笑わざる、歌わざる漢子の、農夫とも漁人・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・帰りの汽車が追分辺まで来ると急に濃霧が立籠めて来て、沓掛で汽車を下りるとふるえるほど寒かった。信州人には辛抱強くて神経の強い人が多いような気がする。もしかすると、この強い日照と濃い濃霧との交錯によって神経が鍛練されるせいもいくらかはあるので・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・自分は大学へ出かけた。追分の通りの片側を田舎へ避難する人が引切りなしに通った。反対の側はまだ避難していた人が帰って来るのや、田舎から入り込んで来るのが反対の流れをなしている。呑気そうな顔をしている人もあるが見ただけでずいぶん悲惨な感じのする・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・隣りに言葉訛り奇妙なる二人連れの饒舌もいびきの音に変って、向うのせなあが追分を歌い始むれば甲板に誰れの持て来たものか轡虫の鳴き出したるなど面白し。甲板をあちこちする船員の靴音がコツリ/\と言文一致なれば書く処なり。夢魂いつしか飛んで赴く処は・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・則深川仲町には某楼があり、駒込追分には草津温泉があり、根岸には志保原伊香保の二亭があり、入谷には松源があり、向島秋葉神社境内には有馬温泉があり、水神には八百松があり、木母寺の畔には植半があった。明治七年に刊行せられた東京新繁昌記中に其の著者・・・ 永井荷風 「上野」
・・・あの駒込追分奥井の邸内に居った時分は、一軒別棟の家を借りていたので、下宿から飯を取寄せて食っていた。あの時分は『月の都』という小説を書いていて、大に得意で見せる。其時分は冬だった。大将雪隠へ這入るのに火鉢を持って這入る。雪隠へ火鉢を持って行・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・ 停車した追分駅では、消防夫が、抜刀で、列車の下を捜索した。暫く見廻って、「いない。いない」と云う声が列車の内外でした。それで気が緩もうとすると、前方で、突然、「いた! いた!」とけたたましい叫びが起った。次いで、ワーッ・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫