自分は菊池寛と一しょにいて、気づまりを感じた事は一度もない。と同時に退屈した覚えも皆無である。菊池となら一日ぶら/\していても、飽きるような事はなかろうと思う。それと云うのは、菊池と一しょにいると、何時も兄貴と一しょにいる・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・もう雪も解け出しそうなものだといらいらしながら思う頃に、又空が雪を止度なく降らす時などは、心の腐るような気持になることがないではないけれど、一度春が訪れ出すと、その素晴らしい変化は今までの退屈を補い尽してなお余りがある。冬の短い地方ではどん・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
「釣なんというものはさぞ退屈なものだろうと、わたしは思うよ。」こう云ったのはお嬢さんである。大抵お嬢さんなんというものは、釣のことなんぞは余り知らない。このお嬢さんもその数には漏れないのである。「退屈なら、わたししはしないわ。」こう・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・しかしそれも退屈だと見えて、直ぐに飛び上がって手を広げて、赤い唇で春の空気に接吻して「まあ好い心持だ事」といった。 その時何と思ったか、犬は音のしないように娘の側へ這い寄ったと思うと、着物の裾を銜えて引っ張って裂いてしまって、直ぐに声も・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ とみまわす目が空ざまに天井に上ずって、「……申兼ねましたが私です。もっともはじめから、もくろんで致したのではありません。袂が革鞄の中に入っていたのは偶然であったのです。 退屈まぎれに見ておりました旅行案内を、もとへ突込んで、革・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・百里遠来同好の友を訪ねて、早く退屈を感じたる予は、余りの手持無沙汰に、袂を探って好きもせぬ巻煙草に火をつけた。菓子か何か持って出てきた岡村は、「近頃君も煙草をやるのか、君は煙草をやらぬ様に思っていた」「ウンやるんじゃない板面なのさ。・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ 吉弥は、ただにこにこしながら、僕の顔とお袋の顔とを順番に見くらべていたが、退屈そうにからだを机の上にもたせかけ、片手で机の上をいじくり出した。そして、今しがた僕が読んで納めた手紙を手に取り、封筒の裏の差出し人の名を見るが早いか、ちょっ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・なぜなら、長い海の上をゆくには、景色が見えなければ、退屈であるし、また途中から、船をたよって、飛んできて加わるものがないとはかぎらなかったからです。 あるとき、一羽のつばめは、船に乗ろうと思って、遠いところから、急いで飛んできましたが、・・・ 小川未明 「赤い船とつばめ」
・・・ぼく隣りの部屋にいまんねん。退屈でっしゃろ。ちと遊びに来とくなはれ」 してみると、昨夜の咳ばらいはこの男だったのかと、私はにわかに居たたまれぬ気がして、早々に湯を出てしまった。そして、お先きにと、湯殿の戸をあけた途端、化物のように背の高・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・で結局、今朝の九時に上野を発ってくる奥羽線廻りの青森行を待合せて、退屈なばかな時間を過さねばならぬことになったのだ。 が、「もとより心せかれるような旅行でもあるまい……」彼はこう自分を慰めて、昨夜送ってきた友だちの一人が、意味を含めて彼・・・ 葛西善蔵 「贋物」
出典:青空文庫