・・・Mは彼の通り過ぎた後、ちょっと僕に微苦笑を送り、「あいつ、嫣然として笑ったな。」と言った。それ以来彼は僕等の間に「嫣然」と言う名を得ていたのだった。「どうしてもはいらないか?」「どうしてもはいらない。」「イゴイストめ!」・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・の字病院へ送り、(向うからとりに来てもらってもよろしく御座このけい約書とひきかえに二百円おもらい下され度、その金で「あ」の字の旦那〔これはわたしの宿の主人です。〕のお金を使いこんだだけはまどう〔償う?〕ように頼み入り候。「あ」の字の旦那には・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・しかし王子は次の日も次の日も今まで長い間見て知っている貧しい正直な人や苦しんでいるえらい人やに自分のからだの金を送りますので、燕はなかなか南に帰るひまがありません。日中は秋とは申しながらさすがに日がぽかぽかとうららかで黄金色の光が赤いかわら・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・記念にとて送りけむ。家土産にしたるなるべし。その小袖の上に菊の枝置き添えつ。黒き人影あとさきに、駕籠ゆらゆらと釣持ちたる、可惜その露をこぼさずや、大輪の菊の雪なすに、月の光照り添いて、山路に白くちらちらと、見る目遥に下り行きぬ。 見送り・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ 今は、自動車さえ往来をするようになって、松蔭の枝折戸まで、つきの女中が、柳なんぞの縞お召、人懐く送って出て、しとやかな、情のある見送りをする。ちょうど、容子のいい中年増が給仕に当って、確に外套氏がこれは体験した処である。ついでに岩魚の・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・省作は夜の十二時頃酔った佐介を成東へ送りとどけた。 省作は出立前十日ばかり大抵土屋の家に泊まった。おとよの父も一度省作に逢ってからは、大の省作好きになる。無論おとよも可愛ゆくてならなくなった。あんまり変りようが烈しいので家のものに笑われ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・去年の冬はにぎやかな都で送りました。もう夏になって、北の海が恋しくなったので帰るところですよ。」と、かもめは答えました。「それは、いいことをなさいましたね。私などは、いつもこんなさびしい田舎にばかり日を暮らしています。いつになったら、そ・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・東京へ帰ったら、送りますから。」と、博士は、微笑みながら、いったのであります。「じゃ、人形を送ってください。」と、信吉はいいました。「人形? 人形とはおもしろい。どんな人形がいいかな。」 博士は、眼鏡の中の目を細くしながら、・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・振出人に送り戻して、新しい小切手を切ってもらうのがまた面倒くさい。「そんなわけで、大した金額ではないが、無効になった為替や小切手が大分あるのだ」 という十吉の話を聴いて、私は呆れてしまった。「どうして、そうズボラなんだ」「い・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・隣のボックスにいる撮影所の助監督に秋波を送りながら、いい加減に聴き流していたが、それから一週間毎夜同じ言葉をくりかえされているうちに、ふと寺田の一途さに心惹かれた。二十八歳の今日まで女を知らずに来たという話ももう冗談に思えず、十八の歳から体・・・ 織田作之助 「競馬」
出典:青空文庫