・・・彼等はことごとく家族を後に、あるいは道塗に行吟し、あるいは山沢に逍遥し、あるいはまた精神病院裡に飽食暖衣するの幸福を得べし。然れども世界に誇るべき二千年来の家族主義は土崩瓦解するを免れざるなり。語に曰、其罪を悪んで其人を悪まずと。吾人は素よ・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・昔一高の校庭なる菩提樹下を逍遥しつつ、談笑して倦まざりし朝暮を思えば、懐旧の情に堪えざるもの多し。即ち改造社の嘱に応じ、立ちどころにこの文を作る。時に大正壬戌の年、黄花未だ発せざる重陽なり。・・・ 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・ むかし、秋田何代かの太守が郊外に逍遥した。小やすみの庄屋が、殿様の歌人なのを知って、家に持伝えた人麿の木像を献じた。お覚えのめでたさ、その御機嫌の段いうまでもない――帰途に、身が領分に口寄の巫女があると聞く、いまだ試みた事がない。それ・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ 御歯黒蜻蛉が、鉄漿つけた女房の、微な夢の影らしく、ひらひらと一つ、葉ばかりの燕子花を伝って飛ぶのが、このあたりの御殿女中の逍遥した昔の幻を、寂しく描いて、都を出た日、遠く来た旅を思わせる。 すべて旧藩侯の庭園だ、と言うにつけても、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 緑雨は逍遥や鴎外と結んで新らしい流れに棹さしていた。が、根が昔の戯作者系統であったから、人生問題や社会問題を文人には無用な野暮臭い穿鑿と思っていた。露骨にいうと、こういうマジメな問題に興味を持つだけの根柢を持たなかった。が、不思議に新・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・坪内逍遥や高田半峰の文学論を読んでも、議論としては感服するが小説その物を重く見る気にはなれなかった。 私が初めて甚深の感動を与えられ、小説に対して敬虔な信念を持つようになったのはドストエフスキーの『罪と罰』であった。この『罪と罰』を読ん・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・せた手紙の中に「この間も一人夕方に萱原を歩みて考え申候、この野の中に縦横に通ぜる十数の径の上を何百年の昔よりこのかた朝の露さやけしといいては出で夕の雲花やかなりといいてはあこがれ何百人のあわれ知る人や逍遥しつらん相悪む人は相避けて異なる道を・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・上陸して逍遥したきは山々なれど雨に妨げられて舟を出でず。やがてまた吹き来し強き順風に乗じて船此地を発し、暮るる頃函館に着き、直ちに上陸してこの港のキトに宿りぬ。建築半ばなれども室広く器物清くして待遇あしからず、いと心地よし。 二十九日、・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・アグリパイナは、ネロの手をひいて孤島の渚を逍遥し、水平線のかなたを指さし、ドミチウスや、ロオマは、きっと、あの辺だよ。早く、ロオマへ帰りたいね、ロオマは、この世で一ばん美しい都だよ、そう教えて、涙にむせた。ネロは無心に波とたわむれていた。・・・ 太宰治 「古典風」
・・・いずれが誘うともなく二人ならんで廟の廊下から出て月下の湖畔を逍遥しながら、「父母在せば遠く遊ばず、遊ぶに必ず方有り、というからねえ。」魚容は、もっともらしい顔をして、れいの如くその学徳の片鱗を示した。「何をおっしゃるの。あなたには、お父・・・ 太宰治 「竹青」
出典:青空文庫