・・・何しろ主人役が音頭をとって、逐一白状に及ばない中は、席を立たせないと云うんだから、始末が悪い。そこで、僕は志村のペパミントの話をして、「これは私の親友に臂を食わせた女です。」――莫迦莫迦しいが、そう云った。主人役がもう年配でね。僕は始から、・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・おげんは弟の連合が子供の育て方なぞを逐一よく見て、それを母親としての自分の苦心に思い比べようとした。多年の経験から来たその鋭い眼を家の台所にまで向けることは、あまりおさだに悦ばれなかった。「姉さんはお料理のことでも何でもよく知っていらっ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・それを的確に成効しうるためにはそのレンズに関する方則を正確に知らなければならない、のみならず、またその個々の場合における決定条件として多様の因子を逐一に明らかにしなければならない。この前者の方則については心理学のほうから若干の根拠は供給され・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・下女に近付はないはずだがと云う風に構えていたところを、しょげ返りもせず、実はこれこれで、あなたの金剛石を弁償するため、こんな無理をして、その無理が祟って、今でもこの通りだと、逐一を述べ立てると先方の女は笑いながら、あの金剛石は練物ですよと云・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ゆえに今政府の事務を概して尋ぬれば、大となく小となく悉皆急ならざるはなしといえども、逐一その事の性質を詳にするときは、必ず大いに急ならざるものあらん。また、学者が新聞紙を読みて政を談ずるも、急といえば急なれども、なおこれよりも急にしてさらに・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・いわんや彼の西洋諸大家の理論書を窺い、有形の物理より無形の人事に至るまで、逐一これを比較分解して、事々物々の原因と結果とを探索するにおいてをや。読てその奥に至れば、心事恍爾としてほとんど天外に在るの思をなすべし。この一段に至て、かえりみて世・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・此れも下女の不行届、其れも下男の等閑など、逐一計え立て徒に心配苦労して益なき事に疳癪を起すは、唯愚と言う可きのみ。現在の下女下男を宜しからずと思わば、既往数年の事を想起し、其数年の間に如何なる男女が果して最上にして自分の意に適したるや、其者・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫